第39回 ペン習字を始めなければ気にかけることもなかったであろう些細なこと――万年筆の持ちかた――。これについてひとくさり。

 まずはじめにお断りしておかなくては。
 「万年筆 正しい持ち方」といったキーワードで検索した結果ここに辿りついた方は、いますぐこちらに行ったほうがいい。
 ↓
 ペン字いんすとーる  『正しいペンの持ち方について調べてみた』


 あなたが求めている答えは、おそらくそこにある。ただあるだけでなく、経験と実績を伴う活きた知識を得ることができるはずだ。


 万年筆の持ちかたについての正解を知りたい人にとっては、これからおれが書こうとしていることはまわり道にしかならないだろう。なんせ、おれ自身がまわり道の途中にいると自覚しているのだから。
 帰宅の途中でついまわり道をしたくなる。そのあげくに迷子になる。さらに、迷子の状態が楽しくなっちまう。そんな人なら、読んでも時間の無駄にならないかもしれない。



1.なんとなくスタンダードっぽい持ちかた


 万年筆の持ちかたについて、おれが最初に参考にしたのはパイロットペン習字通信講座のテキストだった。
 講座のテキストのうちの『学習ガイド』に「正しい筆記具の持ち方」が載っている。筆記具全般に共通するポイントがいくつか簡潔に紹介されていて、見開きに10点のモノクロ写真が載っている。
 万年筆については「適度の角度に倒して書き、ペン先が片べりしないように書くのがよい」とだけ記されている。適度が何度なのかは書かれていない。まあ、「言われなくてもわかってるよ」と反抗したくなる程度のそっけない説明である。
 パイロットのサイトを見ても、さして詳しい説明はなかった。







(万年筆の角度は約70度)




 このページを見て「万年筆だからといって特殊な持ちかたをする必要はなさそうだ」と思った。だから自分なりに持ちやすい方法で字の練習をした。ところが、ちっともきれいな字が書けないので、頭を抱えることになった。


 「ペン習字の初心者が万年筆で字をちょこっと書いたくらいで上達してたまるか」と、いまなら思う。しかし半年まえのおれは、講座に入会しさえすれば見ちがえるような字が書けるようになると、心のどこかで期待していたのだ。


 ペン習字が上達にどれほど時間のかかるものかを理解していなかった。魔法か、もしくは必殺技のようなコツが存在していて、それさえ知れば一夜にして達筆になれるのでは、と心のどこかで期待していた。


 地味な努力が苦手なうえに嫌いなので、必殺技を探すことにした。必殺技の鍵は万年筆の持ちかたにあると見当をつけた。
 もし半年まえのおれが1000円のデスクペンしか持っていなかったとしたら、魔法の力を万年筆そのものに求めていたはずだ。高い万年筆を使えば自分でもうっとりするような字が書けるにちがいない、と。
 しかし、おれはすでにモンブラン146を持っていた。146でダメならどんな万年筆でもダメだろう。万年筆じたいは魔法の杖ではない。
 だから持ちかたに魔法の秘術を求めたわけだ。



2.小指固定法


 ネットで検索するうちに、おれ好みの魔法が書かれたサイトが見つかった。
 画期的な持ちかたが紹介されていたのだ。それは、マイクを持って演歌を唸るおっさんのように小指をピンと伸ばす持ちかただ。伸ばしたした小指を机にしっかりつけて、手首から先が左右にしか動かないようにホールドする。たて画のときは人差し指と親指、横画のときは中指と親指を意識して線を引く。小指がふんばっているため、強めに力を入れたときても線がぶれない。そんな理屈だった。


 こりゃいいや、とすぐに飛びついた。









 しかし、2日ほど練習しただけでこの持ちかたを諦めることになった。
 まず、小指をしっかり机面に固定してしまうと、万年筆を持つ3本の指の自由度もいくらか奪われてしまうのが短所だった。これを練習によって克服したとしても、もうひとつ大きな欠点があった。
 ある程度の湿度を伴った小指が密着していることにより、紙が汚れるのである。右から左に書いてゆくたて書きではもちろん、横書きをするときですら、書いた字を小指が磨ってしまう。その結果、ノートも指も汚れる。






(撮影日はペン習字を始めた2日後)




 小指を机か紙に密着して書く以上、未来永劫字がこすれる。仮にきれいな字が書けたとしてもこれでは実用には向かない。私はこれで禁煙パイポ方式をやめました。



3.角度に気を配る


 パイポ法を諦めてふつうの持ちかたに戻した。こんどは万年筆を持つ角度に気を配ることにした。
 万年筆の本を何冊か読むうちに「寝かせて持つのがかっこいいらしい」と思うようになったのだ。外国人が万年筆で字を書くYouTubeの動画を見ても、達筆な人は寝かせぎみに持っている。
 また、自分の字のあきらかな欠点が、線の一本調子で固いことだと自覚するようになっていた。この欠点を克服するためにも、万年筆を寝かせることが役立つように思われた。寝かせることで自然と筆圧が下がり、線の質もたおやかになるだろう、と。


 字を書いているときの手を撮影し、角度を測ってみた。









 およそ57度。まあまあである。できれば50度くらいまで寝かせたいところだが、無理に万年筆を倒すと書きずらくなってペン習字どころではなくなる。
 当面は「意識しなくても万年筆が立たない(=角度がきつくならない)ようにすること」に留意して、持ちかたについては現状を維持することにした。



4.親指の先から息を吐く


 練習を重ねればましになるだろうと思っていたが、線質の欠点がなかなか治らない。べったりとした一本調子の線で、おもしろみがない。パイロットの添削でも「もっと軽やかに」といったアドバイスをもらうことが続いた。
 しかし、意識して筆圧を下げると、腰のないふらついた字になってしまう。安定した線を引けないのでは、字形か線質かの二者択一以前の段階である。たおやかな線に憧れつつ、一画一画をきっちり書く練習を続けていた。


 ある日、ひらめいて試してみたことがあった。
 それはひらがなを書くときのちょっとしたコツのようなもの。「右手の親指から糸の細さで息を吐くイメージを持つ」ことだった。ダイレクトに「筆圧を軽く」と考えると必要以上に力が抜けてしまうが、息を吐くイメージはおれに合っているようだった。
 ただしこのイメージが使えるのはひらがなを書くときだけで、漢字に応用しようとすると、とたんに形が崩れてしまう。









 ひらがな専用のコツとはいえ、これを思いついたときにはうれしくて、何ページにもわたってノートにひらがなを書きまくった。 魔法の杖のありかは霧のなかだが、呪文をひとつ覚えた気がした。



5.箸を持つように


 「おれの角度は57度より減ることはないだろう」と諦めていたが、今月になって角度が変わった。
 ネットオークションで落札した『ペン習字入門』というビデオで、その持ちかたが紹介されていた。
 「お箸が正しく持てればペンも持てます」とビデオの講師が明るい声で言う。持った2本の箸のうち、下(親指側)を抜き去った形がペンの正しい持ちかただ、と。
 おれはバカ正直に万年筆を2本用意し、箸のように持った。箸の持ちかたなら、小学校に上がるときに母に厳しくしつけられたので自信がある。ウォーターマンとボールペンを箸と同じように持ち、その形が崩れないように注意しながら親指側のボールペンをそっと抜き去る。
 いい感じだ。試しに写真を撮って角度を測ると45度だった。一挙に12度も角度が減った。これまでの持ちかたとの違いは、どうやら中指の力の入れ具合いにあるようだ。


 字を書いてみて驚いた。筆圧があきらかに下がっている。それなのに線の質が不安定にならない。
 例として箸を引っ張り出してこなくても、この持ちかたを自然に身につけている人は少なくないと思う。小学生にだっているかもしれない。しかしこの「箸持ち」、おれにとっては画期的な方法だった。筆圧と角度の問題を同時に解決してくれるなんて。いまのおれにとってはクロスカップリングよりも大きな価値が感じられる。









 当分はこの持ちかたで字の練習をしていくつもりだ。
 ……と、今回はここで終わるはずだったのに、写真の整理中にまた別の持ちかたのヒントを得てしまった。



6.つまみ持ち


 箸のつぎがつまみってのも芸がないが、とりあえずそう呼ぶことにする。
 自分の手を撮影した写真を見ていて、万年筆を持ったときの親指と人差し指の先が離れていることがわかった。
 ところが、他人の持ちかたを気にするようになると、くっつけた親指と人差し指でつまむように万年筆を持つ人が少なくないことに気づいた。
 ためしにマネしてみると、悪くないんだこれが。ただし軸の太い万年筆には向かないようだ。強い力でつままないと万年筆を保持できないから。


 当分は、通常は箸持ち、細身の万年筆を使うときはつまみ持ちを併用して字を書いてみようと考えている。
 この道草、まだまだ続きそうだ。










7.おまけ


 たまたま見ていた番組で驚いたシーン。
 左利きの人が万年筆で字をきれいに書こうとすると、ペン先の刻印が自分のほうを向くことを知った。肘で90度、手首で90度、合計180度の角度を作ることで、はねやはらいの方向が修正されるわけだな。











第38回 パイロットのペン習字通信講座。4ヵ月も居座った9級Aを卒業し、8級Bになることができた。


 パイロットペン習字通信講座では、最下級は10級ってことになっているが、実質的には9級Aがスタートラインだとおれは考えている。
 毎月の『わかくさ通信』には事務局によって認定された級位が掲載されるが、10級にかぎっては割愛されている。その理由は、10級の人数が少なすぎるか多すぎるかのどちらかだろう。


 パイロットに新規に入会した人たちの様子をtwitterで見ると、ほとんどがおれと同じ9級Aからのスタートだ。このことから、10級は幼稚園児や小学校の低学年で「やっと字が書けた」人に対して認定される級位なのでは、と考えるようになった。


 また、9級Bという級位はなぜか存在しないようなので、9級Aが実質的なスタートラインと考えてよいだろう。
 なかにはいきなり7級Aでデビューするエリートもいるが、おそらくパイロット以外の手段でペン習字の経験がある人たちだと思う。
 このことから、頭に「いちおう」をつけずに「ペン習字をやっている」と言うためには7級になる必要があると考えている。つまり9級と8級は、ペン習字を学ぶための土台作りの期間ってことだ。

 土台作りまっ最中であることに変わりはないが、このたびようやく8級Bになることができた。めでたい。









 受講を始めたばかりのころは、毎月、すくなくとも隔月ペースで昇級できるだろうと考えていた。だから深く考えもせずに「1万円以上の万年筆を買っていいのは5級になってから」などという、いま思えば厳しい縛りを設けてしまった。


 甘かったね、おれは。
 最初に認定されたのが9級A、つぎの月も9級A、「そろそろ昇級か」と思えば誤字により規定外、正確に書けば昇級するだろうと思っても9級A。そんな4ヵ月間だった。


 この"なかなか昇級させてくれない"ことについて、半分はおれの自業自得だと認めつつ、残りの半分については「パイロットは厳しすぎんじゃないの?」と思っていた。
 しかし、この厳しさは誠実さとイコールなのだと思う。営利目的のペン習字講座であれば、入会後しばらくのあいだは審査を甘くして、5級くらいまでは気前よく昇級させるだろうから。そうして数字によっておだてられれば、受講生は気をよくし、次年度の受講料もほいほいと払うと思うのだ。実力本位、掛け値なしの評価をするのは、中級になってからでも遅くはない。


 ところがパイロットはそうしない。
 3ヵ月同じ級位に留まったらやる気をなくしてしまう人がいるかもしれない。おれの場合は"よき先輩"がいてくれるので退会を考えることはなかったが、会員数の維持・増加だけを狙うなら、パイロットのやりかたは賢いとは言えないんじゃないか。


 しかし、パイロットは賢さよりも誠実さを選んだんですね。
 この講座が営利目的ではなく一種の文化事業であるとどこかで読んだ気がするが、それは本当なのだろう。手軽な昇級と引き換える目先の利益ではなく、パイロットはもうすこし先を見ているようだ。えらいぞパイロット。昇級できないとじりじりするけど。


 こんなことを考えてた矢先でもあったし、なにより長いこと焦がれ続けた昇級だったから、実現したときには自分でも大喜び……すると思っていた。しかし、実際に昇級が判明した時期はペン習字以外のことで慌ただしくしていため、じっくりと喜びを味わい損ねてしまった。ま、現実ってこんなもんだ。


 ともかく。今回からはこのブログを「8級編」とし、新たな気分でペン習字に取り組もうと思っている。


 と書いたものの、自分の字が上達しているかどうかは、いまだによくわからない。「え」の形をペン習字独特のものにするとか、「事」の横線は1画目をいちばん長く書くといった知識は徐々に蓄積されているが、線そのもの、文字そのものの質が向上しているか否かが、どうもぼんやりしている。


 そこで。
 ひとつは自分の記録のため、もうひとつは第三者から見てどうなのかを知る材料とするため、3ヵ月まえと同じ文章を書いてみた。
(3ヵ月まえの記事は → こちら


 まずは落語の『黄金餅』の一席から"道中付け"と呼ばれる部分。万年筆は3つの日付すべてウォーターマンル・マン オペラだ。ペン先はM(中字)。あ、『黄金餅』は志ん生バージョンね。










 もうひとつ。
 『赤瀬川源平の名画読本』から、ゴッホの章の一節。万年筆はすべてモンブラン146、ペン先はB(太字)。










 自分の目には、万年筆の扱いに慣れてきたことが字に現れているような気もする。反面、縦線などは3ヵ月まえの7月と比べても右に流れてしまっていて、へたになっているような感じもある。


 信頼しているパイロットが認めてくれたのだから、上達してはいるんだろう。そう思うだけである。


 つぎに同じ文章を書くのはまた3ヵ月後。と思ったが、8級Aに昇級できたときにしよう。3ヵ月以内だったら喜ばしい。

 長い前振り〜9級編までの目次です


長い前ふり編



 長い前ふり(1)
 2010年4月3日
 脳梗塞で視野の右上4分の1が欠けちまった 
 


 長い前ふり(2)
 2010年4月5日
 ロットリングの多機能ボールペンを買った 
  


 長い前ふり(3)
 2010年4月9日
 文具好きの虫が目を覚ました 
  


 長い前ふり(4)
 2010年4月10日
 そういやおれは万年筆を持ってるんだ、しかも2本も 
  
 

 長い前ふり(5)
 2010年4月11日
 万年筆……こいつは楽しそうだ、おもしろそうだ 
  


 長い前ふり(6)
 2010年4月13日
 亡父の字の記憶 ――よい手がほしい―― 
  

 長い前ふり(7)
 2010年4月15日
 ボーテックスを買い、3本の万年筆が揃った 
  

 長い前ふり(8)
 2010年4月16日

 ペン習字の通信講座を受講する準備を進める 





11級編と級外編




 11級編(1)
 2010年4月18日
 パイロットの事務局から教材が届くまで 
 
 

 11級編(2)
 2010年4月19日
 「書きぶり」ってなんなんだ 
  


 級外編
 2010年4月20日
 ペリカンの斉藤さん 
 


 11級編(3)
 2010年4月16日
 書道の授業の記憶と初練習 
 


 11級編(4)
 2010年4月22日
 「え」の形の理由とひらがなの原型
  


 11級編(5)
 2010年4月23日
 セルフ添削システム 
 


 11級編(6)
 2010年4月27日
 B系統に決めた
  


 11級編(7)
 2010年4月28日
 へのへのもへじコンテスト 
  


 11級編(8)
 2010年4月30日
 自作の篆刻印だって持ってるんだぜ 
 


 11級編(9)
 2010年5月5日
 ペン習字はとても地味で、おれの苦手分野だと理解する 
 


 11級編(10)
 2010年5月12日
 ひらがなは珠を抱く 
 

 11級編(11)
 2010年5月16日
 初の添削課題が返却された 
 

 11級編(12)
 2010年5月20日
 きれいな字は逃げ水である 
  


 11級編(13)

 2010年5月24日
 セルフ添削システムII(ツー)
 


 11級編(14)
 2010年5月28日
 万年筆洗浄マシン



9級編




 9級編(1)
 2010年6月2日
 練習を始めるための儀式 
 


 9級編(2)
 2010年6月7日
 川窪万年筆店 昭和万年筆・フォルカン(前編) 
  


 9級編(3)
 2010年6月8日
 川窪万年筆店 昭和万年筆・フォルカン(後編) 
 


 9級編(4)
 2010年6月13日
 色水あそびの会 
 


 9級編(5)
 2010年6月24日
 つやふきん、わらびペン、その他の小物
  


 9級編(6)
 2010年7月7日
 短冊ハンティング2010(前編)
 


 9級編(7)
 2010年7月7日
 短冊ハンティング2010(後編)
 


 9級編(8)
 2010年7月17日
 「聿」という字 
  


 9級編(9)
 2010年8月6日
 はたして字は上達しているのか? その1 
 


 9級編(10)
 2010年8月16日
 王貞治ホームラン万年筆と100円ショップの万年筆 
 


 9級編(11)
 2010年8月17日
 PICASSOパイロットμ(μ) 
  

 9級編(12)
 2010年9月9日
 これまでの昇級課題 
 

 級外編
 2010年9月23日
 フクダ君の筆跡(フォント版) 
 

 級外編
 2010年9月24日

フクダ君の筆跡(手書き版) 

第37回 昨日アップロードしたテキストを手書きで原稿用紙に書いてみた。疲れました。


※テキスト(フォント)版はこちら


 昨日の『フクダ君の筆跡』を万年筆で6種類の原稿用紙に書いてみた。


 計画では、すべてを同じ万年筆で書くつもりだった。しかし途中でアクシデントがあり、3種類の万年筆、2種類のインクを使う結果となった。
 200字詰め原稿用紙11枚。
 読むほうもたいへんだと思うけど、書くほうも骨が折れました。


 なお、どの画像でも(とくに)原稿用紙の上部にシミのような黄ばみがあるが、これはスキャナー内部の汚れによるもので、原稿用紙が汚いわけではない。悪いのはおれです。


 また、手書きするうちに言い回しを変えたくなった部分がいくつか出てきた。そのため、昨日のテキストとまったく同じというわけではない。
 ま、95%は同じですが。













































第36回 今日は万年筆の日らしいので、字にまつわる昔話をひとつ。

※手書きバージョンはこちら








 おれが通っていた小学校にはクラス替えがなかった。
 1学年あたり160人の生徒がいたが、入学時にいったん4クラスに分けられると、あとは卒業までずっと同じクラス。
 3年生と4年生のあいだに担任が変わる。それぞれの先生が3年間ずつ受け持つ形だった。


 同じ教室で6年間。
 考えようによっては家族よりも長く濃い時間を共にする関係である。ひとりひとりのクラスメートについても、ずいぶん細かいことまで知るようになる。どの学科が得意で苦手なスポーツが何で、どんなときに泣いて、何に対して怒るのか。怒ったときは赤くなるのか青くなるのか、静かに涙を浮かべるのか、一瞬笑顔をつくって背中を向けるのか。自然と、そんなことまでわかるようになってくる。


 クラス全員の誕生日もそれとなく覚えていたと思う。
 もちろん、字の癖だってわかる。名前の書かれていないノートを見ても、誰のものかは瞭然だった。
 字を丁寧に書く子もいれば、悪筆の子もいた。なかにひとり、とても個性的な字を書くクラスメートがいた。それがフクダ君だ。


 フクダ君は左利きで、字を書くのも左だった。だからといって、左利き特有の癖字だったわけではない。フクダ君が書く字は、とてもまっすぐな線で構成されていた。
 まるで定規をあてたように、という表現があるが、フクダ君に関してこの表現は比喩ではない。なぜなら、彼は一画一画、すべての線に定規をあてて文字を書いていたのだから。


 入学して同じクラスになったとき、フクダ君が字を書く姿はとても目立った。右手でものすごい速さで定規の角度を調整し、左手に持った鉛筆で線を引く。
 「一」や「ニ」などの、直線だけで構成された単純な字ならマネすることもできるが、「赤」や「草」、「糸」といった画数の多い漢字の場合も、器用に、そして俊敏に定規を動かして字を書くのである。
 ノートのノドに近い部分に字を書くときでも、持ち方をうまく調整して、定規をひっかけることなく筆記していた。
 もしもその時代に"全国小学生定規操作コンテスト"なんてものがあったら、まちがいなくフクダ君が優勝したと思う。世界チャンピオンにだってなれたかもしれない。


 小山ゆうに『おれは直角』というマンガがある。
 主人公の石垣直角は父親が名前に込めた意味を曲解した結果、角を曲がるときも剣を振るときも、軌道が直角になるように動く。もちろん書く文字も直角で構成されている。フクダ君の字には45度や30度の線こそあったものの、かぎりなく『直角』の文字に近かった。


 3年生になると、フクダ君は定規を使わなくなっていた。
 書き方を変えたわけではない。手が覚えてしまったのだろう、定規なしでもきれいな直線を引けるようになっていたのである。
 学年が進むにつれ、フクダ君の書く字には丸みが備わってきた。それでも三つ子の魂なんとやらで、アップライトでキュビズムな文字は、それじたいが落款のようなものだった。


 卒業してから何年経っても、癖の強い字を見るたびにフクダ君を思い出した。そして思った。
 彼はなぜあんな方法で字を書いていたのだろう?
 記憶のなかのフクダ君のお母さんは、端が吊りあがった形の、太く大きなフレームのメガネをかけていた。当時の典型的な教育ママのメガネ。
 厳格で教育熱心で一本気なお母さんに命じられて、まじめなフクダ君は定規文字をいやいや練習していたのではないか。おれは自分のなかでそんな風に結論づけていた。


 今年の初夏、小学校のクラス会があった。フクダ君も参加していた。
 いまや彼は大学病院で脳の血管を研究する専門医である。まじめな性格は小学校のころと変わっていないようで、おれが心筋梗塞脳梗塞について打ち明けると、じつに親身に、そして専門的なことをかみくだいて多くのことを教えてくれた。
 専門家である彼のレクチャーをありがたく受けるうち、字についての質問をして自説の正しさを証明したくなった。


 「フクダはさ、小学生のとき定規で字ぃ書いてたじゃん。あれはお母さんの方針だったの?」
 おれは「うん」という答えを予想していた。しかしフクダ君の答えはちがっていた。
 「ちがいますよ。幼稚園のときに左利きで字が下手だったから、きれいに書きたいと思って自分で工夫したんですよ」。


 聞いてびっくりとはこのことだ。
 定規で字を書くことじたいは、子供なら誰でも試したことはあるだろう。しかし、誰もがすぐに飽きる方法だと思う。ところがフクダ君は、強制されてもいないのに、あれほど忍耐力のいる方法で字を書き続け、ついには定規が要らなくなる高みにまで到達してしまったのだ。まじめにも程がある。

 このフクダ君のまじめさと一徹さ。さぞかし患者思いで研究熱心な名医なんだろうな、と思いながら頷いた。降参だよ。


 今日は万年筆の日。そしてフクダ君の誕生日でもある。


 フクダ君、誕生日おめでとう。

第35回 このブログ用のネタは尽きていないが、8級に昇級してから「8級編」として書こうと企んで出し惜しんでいた。しかしいっこうに昇級しない。できそうな気配すらない。

 4月の中旬にパイロットペン習字通信講座を始めてから今日まで、おれとしてはずいぶんまじめに練習を続けてきたと思う。
 堪え性がなく飽きっぽいことは、自他ともに認めるおれの欠点だ。すこしでも深くつきあったことのある人は、申し合わせたように言う。「これで飽きっぽくなければねえ」と。飽きっぽさ。これが他のすべての長所を吹っ飛ばすくらいの、おれの短所なのだ。


 その飽きっぽいおれが、さぼった日はもちろんあるが、ほぼ毎日、100日以上もペン習字の練習を続けてきた。日によっては10分で切り上げてしまうこともあるが、パソコンを利用するなど、自分なりの工夫をして練習を続けてきた。
 となれば字の神様が「うい奴。褒美にじゃんじゃか進級させてやろう」と思っても不思議ではない。不思議ではないのに、なぜかまったく進級できない。不思議である。


 飽きっぽいとは、都合よく換言すれば、理解がはやいってことだ。すぐに先が見えてしまうから、地道に反復することなく、先へ進もうとする。もしくは、ちがう方向へ行こうとする。
 ところがペン習字に関しては、この"理解のはやさ"が発揮される気配がない。ただひとつ、「ペン習字はとてつもなく地味である」ことがけが早い時期にわかっただけだ。きれいな字を書くためのコツなどは、いっこうに見えてこないままである。


  おれが進級できない理由は明らかで、次の級――8級B――となるには字がへたくそだから。パイロットの講師がそう判断しているからだ。これ以外に理由はない。
 この点、パイロットは立派だと思う。会員が次年度も講座の受講を続け、受講料を払い込むように仕向けるなら、がんがん進級させておだててやればいいのに、それをしないからだ。たとえば「3級まではだれでもすぐなれる。その先が講座の本番」という設定にしてもよさそうなものだ。おれが運営側ならそうする。
 しかしパイロットはそれをしない。ほぼ最下級(9級の下にはいちおう10級というものがある)である9級Aから、おれはまったく進級できない。すでに4ヵ月間、この級のままである。こうなると、昇級させないパイロットも偉いが、昇級できないおれもすごいと思うようになる。


 今回は、過去にパイロットに提出した昇級課題をこのページに晒してみる。


 ペン習字のブログといえば、字のきれいな人書くものと相場が決まっている。ペン習字を教えることで糧を得ようとする人のブログ・サイトも多いし、現在勉強中の人でも、人に見せて失礼となるようなレベルの字は、ほとんどない。


 この点で、おれがこれから載せようとしている字は、あきらかに異質だ。自分で写真の整理をしていて「よくもまあ、この字を公の場に」と呆れたほどだ。
 ペン習字の指導者を目指す人であれば、不出来な例のひとつとして参考にすることもできるかもしれない。
 しかし、自分がきれいな字を書けるようになるためにペン習字を始めたばかりの人に対しては、これから先を見ることをおすすめしない。この先は、「自分のほうがはるかにましだ」と優越感を抱くくらいしか、使い途はないと思う。


 いままでの練習の方針について触れておこう。
 「手本の字の形をまねること」。これを主眼として練習してきた。具体的な方法は"セルフ添削システム"としてここに書いたが、線の長さ、間隔、角度などをできるだけ手本に近づけるための練習を繰り返してきた。
 その結果、形ばかりを気にするようになり、線が死んだ。手本の字形をまねることばかりに気が殺がれ、運筆に緩急や勢いがなくなってしまった。
 たちが悪いのは、勢いを失った代わりに正確な字形を覚えられたわけじゃない、って点だ。元々の癖(手の癖と脳の癖)と手本の形がありがたくないバランスで折衷し、どうにもバランスのよろしくない形の字になっちまっている。


 今回は、4月から8月の5ヵ月間に提出した課題と並べて、今日書いた字も載せてみる。恥をかくなら皿まで。
 新しいぶんを書くにあたっては、字の形はあまり気にせず、「気持よく書く」ことを念頭に置いた。提出した課題の2〜3倍の速さで書いてある。


 まあ、脳のリハビリにはなっているだろう、と自分を慰めている。


 では、覚悟のある人だけ、この先をどうぞ。


















※この月は規定外だった。「写」の3画目を右から左に書いて

 しまったためだ(正しくは左から右)。

 今日書いたときはさすがに正しい方向で書いたが、

 「撮りましょう」が「撮りました」になっちゃってる。

 抜け作ここにあり。










 それぞれの字について言いたいことはあるが、今日のところは黙っておこう。

第34回 新しく買った4本の万年筆のうち、今回は金属製の軸をもつ2本のことを書く。ピカソとミュー。なんかのタイトルになりそう。

(前編:ホームラン万年筆と100円万年筆 は→こちら


 3本目はPICASSO PS903-N
 ピカソというメーカーはフランスの会社らしいが、詳細はわからない。品名は落札したオークションショップの表記に倣っただけなので、正確かどうかも知らない。
 とにかく、よくわからない万年筆である。


 落札価格は1400円だった。中古ではなく、新品である。
 出品していたショップとおれとの相性が悪かったらしく、連絡に手間取ってイライラやきもきしたのを覚えている。質問をするたびに的外れな定型メールが返ってきてじりじりしたし、入金後10日も経っているのに商品が届かないので問い合わせたら「入金が確認できていません」ときたもんだ。そもそもそのショップは連絡先電話番号を明らかにしておらず、メールかFAXでしか問合せができなかった。メールは3回送ってようやく質問の答えを得られるという塩梅で……ええい、思い出しても腹が立つ。


 入札した動機は「青い軸の万年筆がほしい」と思ったこと。
 カタログ雑誌を見ると、セルロイド製の美しい青軸の万年筆が何種類も載っている。しかしおれには高級品を買うゆとりなどないし、資格もない。未練がましくオークションサイトを見ていたところ、出くわしたのがこのピカソだった。一目ぼれってやつだ。


 落札の段階でいろいろとあやがついてしまったので、とんでもないパチ物が送られてくるんじゃないかと訝っていた。いや、金だけ取られて万年筆は届かないケースすら想像していた。
 しかし、だいぶ遅れて送られてきた万年筆は、ずっしりとした重さを持っていて、質感だけでも「1400円にしてはお買い得かも」と思えるものだった。重けりゃいいってもんじゃないけどね。


 紙箱とはいえ、化粧箱つきだ。箱の蓋はマグネット式。おれは過剰包装を嫌っているが、万年筆の化粧箱に限っては悪いもんじゃないなと思った。
 でも、オークションでの説明文には「説明保証書」付属と書いてあったのに、箱のなかのどこを探してもそれらしきものはなかった。他の落札者からの評価はとくに悪くもなかったから、とことん相性が悪かったらしいだ。










 インクの吸入方法はコンバーターとカートリッジの両用式で、スクリュー式のコンバーターが付属していた。ところがこのコンバーターの作りが粗く、筒の密閉度が低いようでインクを吸い上げる効率がよろしくない。それでもなんとかインクを入れ、重さを量ってみると31グラムもある。おれが持ってるなかではウォーターマン・ルマン(36グラム)に次ぐ2番目の重さだ。


 軸の色は、それに惚れて買ったんだから当然のことだが、おれの好みだ。htmlで無理に再現するとこんな感じか。→ ■■■■■


 軸色は青よりも紫に近い。和名でいうなら青藍と藍錆色の中間といった色合いである。天なら、空をつきぬけて"もうすこしで宇宙"といった色。海なら、ぐうっと潜ってぐるりが暗闇になる手前の色。いずれにしても「引き返すならいまだぞ」と囁かれているような、沈黙と静寂と不安を孕んだ色に思える。それなのに、この色を見ていると心が落ち着くから不思議である。










 グリップとキャップリング、主軸の尻の3ヵ所が銀色に輝いている。もちろん本物のシルバーではないが、これはこれで美しい。グリップとキャップリングにはメーカーのロゴとおぼしきピカソのシンボルマークが刻まれている。
 同じマークが鉄製のペン先にも刻印されているのだが、購入後にあちこちのサイトを見て「しまった」と思った。というのも、おれのは銀一色のペン先だが、材質はおなじ鉄でも金メッキが施されたモデルがあるのだ。書き味に影響がないとはいえ、スカを引いたような感じがして、くやしい。


 ペン先への刻印は、このロゴマークのほかに"PICASSO FRANCE F"としてある。
"FRANCE"がフランス製を示すのか、「作ったのは中国だけど本社はフランスだよ」と言っているのか。これまた不明だ。









 文字を書いてみると、購入段階で感じた負の感情は海の底に消えた。
 金ペンのような柔らかさこそないが、たいへん書きやすい。紙に吸いつくといえば大げさになるが、字を書いていて気持ちがよい。ボディーの重量が適度な負荷となって、心なしか文字も安定する。長文を書くには向いていないかもしれないが、"書く楽しみ"が味わえる万年筆であることはたしかだ。


 いろいろなサイトを見てまわったところ、あちこちで同じ万年筆が売られている。不思議なのが価格で、高いところでは6000円くらいする。「よっしゃ、おれは安く買ったんだ」と喜びながら他のサイトを見ると、新品が1000円だったりもする。
 不思議な万年筆である。



 4本目はPILOT ミュー
 こちらもネットオークションで落札したものだ。ピカソとはちがい、中古品である。じつはおなじミューの新古品(デッドストック)のオークションでぎりぎりまで競ったあげくに敗れ、その熱を帯びたまま落札してしまったのがこれ。7200円だった。


 先のピカソのところで"一目ぼれ"と書いたが、ミューに対する一目ぼれの度合いは桁がちがう。


 ミューがパイロットから発売されたのは1971(昭和46年)だから、おれは8歳で小学校3年生だったことになる。
 当時から文房具が好きで、2日とあけずに近所の文房具店に通っていた。とはいえ3年生のこと、見るのは鉛筆や定規、消しゴムといった小物が中心だった。
 ある日、店内のショーケースに見つけたのがミューだった。当時のおれは、万年筆という筆記具そのものの存在すら知らなかったかもしれない。知っていたとしても、万年筆独特のペン先の形を美しいと感じるセンスなどなかったはずだ。むしろ、古めかしくてかっこ悪いと感じていた可能性のほうが高い。
 そんな小僧がひと目で惚れてしまったのがミューである。主軸とペン先が継ぎ目なくすらりと続くそのフォルムは、世界中の「かっこいい」を集めてペンの形にまとめたもののように思えた。
 そのころのミューの価格は3500円だったが、小学生に手の出る値段じゃない。来る日も来る日もその店に通い、ケースのなかのミューを眺めていた記憶がある。


 個人の美的感覚の基準が何歳くらいで固まるものなのか、おれは知らない。おそらく物心つくまえにベースとなる感覚がおぼろげに敷かれ、その後"好き嫌い"の判断を繰り返すなかで感覚がゆるやかに育ってゆくのだろう。
 まだ確たる基準を持っていなかったおれにとって、ミューの存在は大きかった。「これが好き」と思う以前に「かっこいいのはこういうもの」と刷り込まれてしまった感すらある。のちにおれは仮面ライダーの新サイクロン号、超音速旅客機コンコルド、ギターのレスポールなどを"かっこいい"と思うようになる。そのかっこよさの基準を作ったのがミューなのは、まちがいないだろう。


 ミューにはいまでもファンが多く、グーグルで「万年筆 ミュー」と打ち込めば、さまざまなサイトがヒットする。こんな感じだ。
 「世界一美しい万年筆」「世界一かっこいい万年筆」と書く人もいる。しかし8歳のおれにとってはそれどころではなかった。「世界一かっこいいもの」それがミューだった。


 長い年月を経てようやっと自分のものになったミュー。何百本も万年筆を所有しているよなマニアの評価は「フォルムは斬新だが書き味はへんてこ」といったあたりに落ち着いているようだ。しかし、おれにとってはすばらしい書き味なのである。変わっていることは認めるが。


 万年筆の書き味を決める要素がいくつもあるなかに"ペン先のしなり"という項目がある。ミューはペン先と主軸が一体化しているため、この点でのしなりは限りなくゼロに近い。万年筆のプロやセミプロは、それを指して「へんてこ」と言うのだろうが、おれにとってはじつに楽しい書き味となっている。"安心感"が桁ちがいなのだ。


 ミューの安心感について、もうすこし書いておこう。
 一般的な万年筆のペン先は、主軸とは別個のパーツだ。軸側に設けられた接合部に金属製のペン先が嵌めこんであることは、一目瞭然である。見ればわかる。考えなくてもわかる。
 別個の部品どうしが連結されていることを直感的に知ると、人は無意識のうちに「接合部に力をかけてはならない」と思うはずだ。万年筆で字を書くときの筆圧は弱めにするのが常識とされているが、意識的に筆圧を下げることのほかにもうひとつ、接合部を守るために無意識の"力の遠慮"が働く。と、おれは考えている。


 一方のミューには、ペン先と軸の接合部などない。ひとつのパーツなのだから当然だ。いわばペン先を直接持って字を書いているようなものだ。しかもそのペン先=軸は、思い切り握りしめたところでびくともしない強固なものだ。ここで、「必要以上に力をかけてはいけない」という無意識の"力の遠慮"が消える。もちろん万年筆であることに変わりはないから、意識して行うほうの筆圧コントロールは活きている。
 結果、ミューでの筆記時には"力の遠慮"がなくなるため、のびのびと字を書くことができるのだと考えている。これがおれの"ミュー安心理論"だ。

















 ミューを落札してほんとうによかったな、と思う。
 入札したときには、"子供のころに買えなかった意趣返し"のような気持ちがあったが、筆記に使ってみると新鮮な書き味でおれを喜ばせてくれた。この書き味は、他のどんな万年筆でも味わえない、ミュー独特のものだと思っている。



 4本の万年筆で同じ字を書いてみたので、写真を載せておく。原稿用紙は満寿屋のもの、色が微妙に違っているがインクはすべて同じもので、ウォーターマンターコイズだ。


 手短に寸評を書くと、書きやすいのはピカソ、独特で楽しいのがミュー。捨てたもんじゃないのが100円万年筆、問題外がホームラン万年筆。てな感じ。