第43回 万年筆に関する本を買い集めるうちに、けっこうな数になった。備忘録の役目も兼ねて、1冊ずつまとめておこう。








『復刻版 萬年筆の印象と図解カタログ』
発行:丸善株式会社 1989年2月10日
編者: 丸善株式会社
定価:2000円




 万年筆の本を一冊ずつ紹介するなら、『世界の万年筆ブランド』か『趣味の文具箱』、あるいは『万年筆の達人』あたりから始めるのがわかりやすいし、ふつうの感覚だろうと思う。


 しかしおれのへそは曲がっているからこれを選んだ。
 『復刻版 萬年筆の印象と図解カタログ』である。
 復刻された版、すなわちオリジナルは明治45年6月30日発行としてある。西暦に直せば1912年。いまから98年前のことで、当時の定価は30銭だったようだ。


 復刻版は1989年2月発行……このふたつの発行日を並べてみて、ピンと来る人がどのくらいいるだろう。おれなどは「じつにおもしろい符合があったものだ」とほくそ笑んでしまった。


 種を明かすと、どちらの発行日も改元にきわめて近いのである。
 オリジナルが発行された明治45年は大正元年でもあり、6月30日は改元のちょうど1ヵ月前だ。
 かたや復刻版が出た1989年は、昭和64年が平成元年に名を変えた年であり、発行日の2月10日は改元の1ヵ月と3日後にあたる。


 ひとつの時代が幕を閉じようとするときに出版された本が、玄孫にあたる時代の産声が響くなかで復刻された。
 両脚をおもいきり広げ、左右のつま先をひっかけてようやっと4代をまたいだ本。こう考えるだけでも楽しいじゃないか。













 おれはこの本を100円で落札した。肉まんより安い。どんなにつまらない本が届いても怒ってはいけない金額だ。なもんで、本が届いたときにも「そういや落札したんだっけ」程度の気持ちだったのだが、実物を見て唸ってしまった。


 まず、本のコンディションがたいへんよかった。ケースにかけられた腰巻にわずかなたわみがあるほかは、新品として新刊書店の棚に並んでいても通用する状態だった。
 「こりゃ得したね」とページを開き、100円で落札したことが申し訳なくなった。これなら5000円出しても惜しくない。
 








 この本は、万、いや、萬年筆文化を盛りたてようとする丸善によって企画・編集・発行されたものだ。
 約100年後のいまでさえ、万年筆は趣味としてマイナーな部類に属していると思うが、当時にあってはなおさらのことで、道楽以外のなにものでもなかったはずだ。そんな状況は、収録されている文章にも表れている。


 『萬年筆!?。フン、絹のハンケチで洟をかむのは、一寸、田舎漢を驚かすには足ろうが、幾度も洗っては、又使ふといふやうな根性は、憚りながら、宵越しの金を使はないといふ吾々江戸ッ子には、持合せがない、』と、エラク江戸がッた男もあつたが、一應は多とすべき申分なれど、再應の吟味を遂げるに於ては、蓋し、宵越しの金と共に、朝出来の銭も無かつたに相違なきなり。
高島米峰『洟紙とペン』より抜粋)


 「!?」のあとに「。」が来るあたりに時代を感じるが、この和洋折衷の匂いこそが、当時の萬年筆そのものから発せられているように感じる。
 この本に寄稿しているような"西洋かぶれの新しもの好き"がいてくれなかったら、今日のおれは万年筆で字を書くことができていなかったかもしれない。


 これは、まごうことなき"万年筆本"であるが、つい笑ってしまうのが、現代の"万年筆本"の作りが、1世紀前にを完成しちまっている点だ。


 『萬年筆の印象と図解』。書名が無駄なく表しているように、本の内容は2つの部分から成っている。万年筆を嗜む人の文章と、万年筆についての解説である。


 解説のパートでは、図版をふんだんに使って万年筆の構造を説明し、当時にあって主要とされていたであろうブランドの品がカタログ的に並べられている。
 筆頭はオノトで、オリオン、ウォーターマンペリカン、ゼニス、カウスと続く。モンブランの設立は1906年だから、載っていないのは当然のことだ。










 "印象"の部分には、夏目漱石の随筆(『余と萬年筆』)や北原白秋の詩("Onoto")も載っているが、おれなどが名前を知らないような筆者の文章がおもしろい。









 万年筆の構造とカタログ、そして愛好家の意見。これは21世紀の万年筆本のほとんどに踏襲されている構成である。
 意地悪な見かたをすれば、100年かけて布教を続けてきた万年筆は、いまだに道楽の池から身を上げきることができていない、ってことだ。











 ま、そのへんも含めて万年筆が好きなんだけどね。


 ちょっと高いコーヒーを飲ませるような、落ちついた喫茶店で読むには、万年筆本の枠を外し、全ジャンルを対象としても最適な一冊だと思う。