第29回 おれが世話になっている病院では、七夕が近づくと入院棟の各階に七夕飾りが用意され、入院患者や見舞客の手による短冊を見ることができる。これを眺めてまわるのがなかなか楽しい。
去年の七夕はおれも入院患者だった。
退院が7月8日だったので、七夕の日には元気をもてあましていて、病棟をめぐっていろんな思いの詰まった短冊を見た。
そのときの記録はこちら(前編)とこちら(後編)。
さっそく今年の七夕ハンティングを始めよう。
あと
伸びますように!!
ここは老人病院なので、入院患者が書いた短冊ではないと思う。見舞いに来た孫か、または看護婦か。最初は勢いで10cmと書いたものの、イメージしてみたら背が高すぎて7cm低くしたようだ。「願いは叶う」という前提で書かれているのである。
●●吉夫あにき
いつまでも長生きして下さい
心より祈っています。
気になるのは「あにき」の3文字だ。
実の兄弟ではなさそうな気配がある。任侠系の兄弟関係だろうか。
今年中にイケメンな彼氏が
出来ますよーに
毎日、笑って過ごせますよーに
たぶん看護婦さんだと思う。「イエーイ」の顔は自画像かな。明るいムードメーカーなんだろうな。
バァバが
今のままの
年でいれます
ように!
「もう年をとらないってことは……」などと揚げ足を取っちゃいけない。もうこれ以上老いない、具合が悪くならない、という意味に取ろうではないか。
たなばたさま
たなばたさまと
今日も祈られる
おいそがしいでしょう
自分の祈りや願いではなく、七夕様を心配して労う気持ち。
現世利益タイプ。しかしこの時代だ、どうかな。
お金もちに
して下さい!!
by CN4
これも現世利益タイプだが、願いがきっぱりしていて気持ちがよい。
早く元気な体になりたい
●村カク様
自分の名前に「様」をつけるかな? と思ったが、筆跡が違うようだ。おそらく名前は看護士がつけ加えてくれたものだろう。
クロールで25メートル
泳げるようになりたい
●さきゆの
入院患者のお孫さんの願いを、お母さんが代筆したと見た。具体的な願いである。
たんざくに ねがいをかける
たなばたに
先生のごおん
かんごしさんのごおん
けっしてわすれません
星に幸とけんこう
おいのりします
まず感謝。そして願い。しみじみと、気持が伝わってくる。
じいちゃん早く元気になって
旅行行こう。絶対治るから。
おねがいします。●●麻衣
書き始めはじいちゃんへの呼びかけだった。でも書いているうちに、七夕様へのお願いになった。旅行、行けるといいな。
忍ぶれど色に出にけり
我が恋は
ものや想うと
人の問うまで
入院患者どうしの恋が生まれる予感? と思ったが、同じ筆跡で百人一首を書いた短冊がたくさんあった。にぎやかしでした。
ねりまのじいちゃん
八月の手術も、スムーズにいきます
ように。おじいちゃんが、嫌がってあば
れませんように。いい子に、いい子にしてて。
また一緒に帰りましょう。
おそらくじいちゃんはかなり痴呆が進んでいる。でも「また一緒に帰りましょう」と祈ってくれる気持ち。「また」ってことは、初めてじゃないんだ。
ばばがんばろう
ここ、ろちゃんに
2行目はなにを言っているかわからない。でも、ばばにがんばってほしいという気持ちは強く伝わってくる。
ぷーるでおよげます
ように
ぶらいあん
名前がぶらいあん。ニックネームではあるまい。いろいろ想像すると、裏返った「う」も愛おしくなってくる。
ロトシックスが
◎当ります様に
的を意味する「◎」があるだけで、叶う確率がずんと上がった気がする。
早く一人前に
働けますように!
さくらい
書いたのは入院患者だろう。ここは老人病院であることを考えると、頭が下がる。さくらいさん、かつては2人ぶんも3人ぶんも働いていたにちがいない。
もっともっと唄が
上手になりますよ〜
「よ〜」って。途中で唄い出してしまったみたいだ。
後編はこちら。
第28回 おれの持論は「人は排泄するために生きている」で、排泄本位主義と呼んでいる。言葉どおりに排泄が生きる目的だと言っているわけではなく、「排泄は快感であり、排泄を中心に据えると見通しがよくなる」程度の意味だ。
文字通りの排泄以外にも、我々はいたるところで排泄から快感を得ている。暑い日に水分を我慢して、仕事が終わったあとの一杯のビールでプハー。これもひとつの排泄と言えるだろう。
また、「物を買う」という行為も金銭を介した排泄行為と言えるだろう。衝動買いが快感なのは、それが排泄だからなのだ。
ただし、消費とよく似た浪費は快感を伴うことが少ない。これは浪費が金銭の排泄ではなく分泌だからだと考えている。じわじわと浸み出て行くものに対して、人はあまり快感をおぼえないようなのだ。快感―排泄―には速度や勢いが必要なのである。
このところ、万年筆やペン習字の方面に対して、おれはけっこう金銭を排泄した。ふつうに言えば「衝動買いしちゃいました」ってことなんだが、こういうとかっこよくないですか? ぜんぜん? あ、そう。
忘れないうちに、排泄のここにまとめておこう。
まずは『つやふきん』。漢字なら艶布巾だ。
おれはどうにも『つやふきん』が覚えられず、スナフキンと言いそうになる。買い求めるときには「パイプを磨くイボタロウカイガラムシのあれ」と言った。なぜか長い虫の名前(後述)は覚えられたから。
つやふきん。twitterで、ある方のつぶやきから知った逸物である。もとはといえばパイプを磨くためのタオルだ。好事家たちの間では万年筆を磨くのに用いても具合がよろしい、と有名な品だったようだが、おれはちっとも知らなかった。
製作・販売は銀座一丁目の佐々木商店。パイプの品ぞろえが豊富なタバコ店だ。このご時世、なかなかつらい商売だと思うが、このつやふきんは140年の歴史を誇るオリジナル商品だそうだ。
木でできたものであれば「此のつやふきんに依ってぴかぴかと心地よい光を増します」そうだし、真鍮や鋼鉄製の器物も「つやふきんで拭へば錆止めの作用をいたし何かと御便利」だという(「」内は能書きより抜粋)
万年筆好きは、もちろんこれで万年筆を拭く。エボナイト製でも木軸でも、こいつで磨けばよい感じに艶がでてくるって寸法だ。
見た目は安っぽい黄色のタオルだが、なんだかすごそうな成分を含んでいるらしい。
それが先ほどの「イボタロウカイガラムシ」だ。この長い名前の虫(オスの幼虫に限る)が分泌する蝋の成分を染み込ませてあるのだそうだ。イボタロウというと、昔の男子の名のようだが、ロウは蝋を指すようで、「イボタ蝋」なる物質がちゃんと存在するそうだ。用途はもちろん艶出しや研磨剤など。
だからイントネーションは「楽太郎」じゃなく「座敷牢」に近いってことだ。
詳しく書くとこんな感じ。
イボタロウカイガラムシ
イボタロウムシとも言われ、半翅(はんし)目カタカイガラムシ科の昆虫の1種。雌は球状でつやのある赤茶色、体長10mm。雄は有翅で体長約3mm。雄の幼虫は白色の蝋物質を分泌。この蝋塊はイボタ蝋と称し、家具のつや出しや薬用に用いられる。日本、中国、ヨーロッパなどに分布し、イボタノキ、ネズミモチ、トネリコなどに寄生。
写真は見つけられなかった。たぶん、見ないほうがなにかといいんだろう。
イボタロウカイガラムシの匂いを知らないのでなんともいえないが、つやふきん自体はよい香りがする。
蝋成分が流れだしてしまうので、つやふきんを水洗いするのは厳禁だそうだ。佐々木商店で「どのくらいまで使えるものか」と尋ねたところ、ぼろぼろになったつやふきんを見せてくれて「このくらいでもまだまだ使えますよ」とのこと。
1枚1000円也。これはよい東京土産になりそうである。
海外の古いドラマで見る、揺り椅子に座ってパイプを磨く髭のじいさん。
あんな姿もいいもんだと思っていたが、パイプ代わりに万年筆を磨くじじいになれるかもしれない。磨くってのはいいよな。削るのとはちがってさ。
ここでペン習字erとしての疑問がひとつ。
パッケージの「やふきん」は読めるのだが、その上の字がおれには「は」にしか見えない。手元の本で「つ」の変体仮名を調べたが、このような形は載っていなかった。ひらがなの「は」は漢字の「波」の変形だが、そう思ってみればこれは「波」に見えないこともない。となると『はやふきん』? 謎である。
つやふきんの佐々木商店から2〜3分で伊東屋本店に着く。おそらく日本でいちばん大きな文具店だ。
万年筆好きは世に多く存在するが、万年筆や関連用品を豊富に揃えている実店舗はとても少ない。おなじ伊東屋にしても、池袋の東武百貨店内にある支店となると、品ぞろえはぐんと減ってしまう。メーカーごとにコーナーが分れていて実物がディスプレイされているこの本店は、万年筆好きにとっては貴重な場所なのである。
さすが伊東屋、と思ったのはパイロットのインク『色彩雫(いろしずく)』の全色17種類が試し書きできたことだ。
1本ごとに異なる色のインクが入った試し書き用の万年筆が用意されていて、お好きにお書きなさいって具合だ。インクの色はサイトで見てもパンフレットで見ても、イメージはつかめるが実際の色がわからない。こうして本物の紙に試し書きができると、それだけでうれしくなって買っちまいそうになる。
実際、買っちゃったし。おれが買ったのは土筆ね、つくし。
せっかく伊東屋まで来たのだからもうひとつインクを買いたい。とインクのフロアーを物色していると、扱っているすべてのインクを使って作った色見本が壁に貼ってあった。しばしそいつを睨み、スカイブルーのインクに決めて、店員に話しかける。
「ビスコンティのターコイズを」。
「少々お待ち下さい」
で、在庫を調べて「申し訳ありませんが、ただいま在庫が……」。
しょうがない、「ではコンウェイスチュアートのターコイズを」。
「……ただいま在庫が……」。
「プライベートリザーブインクのダフネブルーは?」
「……すみません……」
まるでないものを選っているようになっちまったが、第四希望のペリカンのターコイズで手を打った。ついでにパイロットの試書用紙も何枚かいただいた。
店員が在庫切れで謝り続けたぶんだけおれの位置エネルギーが相対的に上がっていて、頼みやすかったんだ。
ついでにパイロットのコンバーターも2種類買っておいた。
インクのつぎは紙だ。今回は紙のなかでも原稿用紙がほしい。
伊東屋本店には原稿用紙だけが並んだ一角がある。
紙の色は……、罫線の形は……とさんざん悩んだあげく、2種類のB5サイズ原稿用紙を買い求めた。
ひとつは満寿屋のNo.101、もうひとつがライフの157。
インクと原稿用紙を買って用は済んだのだが、めったに来ない本店なので、帰るまえに各フロアをひと巡りすることにした。
できるだけ衝動買いはしないように気と財布の紐を引き締めていたのだが、つい買ってしまったのがこれ。プラスのリビングポスト・プチという商品だ。万年筆のケースとしてちょうどいい。
じつは万年筆ケースとして漆塗りでガラス天板の入った木製ケースを考えていたのだが、いかにも「万年筆が趣味でござい」って感じがして引っかかっていたのだ。万年筆が趣味なのは事実だから隠す必要もないんだけど、たいそうに陳列して自慢する感じがいやだった。
その点、このリビングポスト・プチなら、安っぽさが気楽さにつながっていい感じだ。材質は厚紙、色もビタミンカラーで、威張ってる感じが少ない。
ひとつ買って、帰宅してから色厚紙を切って引き出しのなかに仕切り板を作った。おれってこんなにマメだったっけ? なんて思いながら。
日が変わり、場所も移ってこんどは文京区の千石〜小石川界隈。
まず最初の目的は、憧れの川窪万年筆店だ。住宅地のなかに溶け込んでいるという情報を得たので、事前に十分な下調べをしてから向かった。
なにせおれは方向音痴なので、住所だけでは辿りつける自信がない。グーグルマップでシミュレーションをした成果で、1回迷っただけで店を見つけることができた。
川窪万年筆店の外観は雑誌やサイトでよく紹介されているので撮影しなかった。
万年筆店と、駄菓子屋の風情がある千石空房が長屋のように隣接しているのだが、川窪さんは空房のほうにいた。
今日おれが訪問した目的は大別して3つ。ひとつは場所を確かめること。ふたつめは、先月末に買った昭和万年筆の領収書を書いてもらうこと。そして3つ目が、ペン先への彫刻について質問すること。
店に着いた時点で、ひとつ目の目的は完了。
2つ目の領収書もさらっと書いてもらうことができた。
そして最後の彫刻についての質問。川窪万年筆店では世界でも類を見ない精度でペン先への彫刻を施すことができるらしい。ではこのロゴは彫れますか? と聞いておきたかったのだ。
この図案は鼻行類=ナゾベームである。10年以上前に同名のホームページを開設していたときに、読者がくれたエンブレムだ。ホームページのトップでもこのエンブレムを使っていたし、その後もなにかにつけて使わせてもらっている。もし万年筆のペン先にこいつを彫刻してもらえたら、と想像するとわくわくする。
川窪さんの答えはあっけなかった。
「図と地を反転させればできますよ」。おお、やったぜ。まだやってないけど、やったぜ。
いつになるかわからないが、川窪万年筆店におれのオリジナル万年筆の製作を発注する。素材は木だな。ごついやつで、キャップの先が3つに分れて鼻行類の鼻みたいになってたら最高だな。その鼻で直立すんの。歩かなくてもいいや。そしてペン先にはエンブレムの彫刻。
妄想は、やむことがない。
訪問記念に、オリジナルのインク1本とわらびペンを買った。
わらびペンは、わらびをそのままペンにしたもので、つけペンとして使う。インクはYELLOW & ORANGE って色で、そのとき会計してくれた川窪さんのお母さんがこっそり端数をおまけしてくれた。
試し書き(ほんとに投函した手紙だけど)した感じはこんなの。
千石の川窪万年筆店を出て、つぎの目的は小石川にある橙灯という喫茶店。隣町である。
地図での下調べはもちろん済んでいたが、実際に歩みを進めていると、塀で囲まれた広い空き地に進路を阻まれた。じゃまな空き地め、と看板を見たら、おれの出身小学校の敷地じゃないか。運動場が2つ、体育館も2つ、それとは別に講堂もある広い学校である。そのうえ空地まで所有してやがる。
橙灯は、ふつうのアパートの2階にあった。1階にも喫茶店があるから、脇の階段を上りながら「喫茶店の上に喫茶店があってよいものか?」と不安になる。おまけに入口もふつうの民家のようだからなおさら。
玄関で靴をぬぎ、スリッパで上がるタイプの珍しい喫茶店だった。
民家をそのまま使った店で、半分がギャラリー、半分が客席。
店内に入ったとたんに、面した通りの喧騒が消える。空気が落ち着いている。アイスコーヒーの姿を見ただけでこの店の実力がわかろうというものだ。自家製のジャムもすばらしかった。
客席と厨房を分ける場所に、木製の小引き出しがある。変形の箪笥ってことになるのか。小さな引き出しにはそれぞれ売り物が納まっているのだが、ジャムが入っていたり、焼き物が入っていたり、文具だったり。
びっくり箱のようで、全部の引き出しを順番に開けてしまった。
お目当ては、この引き出し。
満寿屋×文具王のtweet-sen。140文字のミニ便箋である。
この便箋はほぼ非売品に近いような存在で、売っている場所はこの橙灯ともう一カ所だけらしい。
このほかにも、8Bの鉛筆やら一筆箋やらを買いこんで、おれの排泄の日々は終わったのだった。
排泄と引き換えに手にした物品を、つぎは消化・吸収・熟成する段階である。
第27回 万年筆に凝りだすと、つぎはインクかノートに興味が向くというのが定説のようだ。
おれの場合は万年筆に向かうまえの段階でペン習字というクッションをかませたが、それでもやはりインクに対する興味が出てきた。
安いものでも3000円台、ボリュームゾーンが1万円から2万円台、値が張るとなれば10万円の大台を超えるものも珍しくない。それが万年筆の値段だ。集めようったってそうそう買えるものではないのである。
しかしターゲットを万年筆そのものからインクに移せば、高くても数千円、安いものなら500円玉でお釣りがくる。50mlで50万円だなんていうバカげたインクもなかにはあるが、それは例外中の例外、縁起物のような存在である。
出費を抑えつつ万年筆の世界を楽しむには、インクに焦点を合わせることは賢く正しい方法だと思う。
たとえばtwitterで、自分と同じように万年筆を趣味とする人と知り合ったとしよう。ペン習字を続けている人でもいい。
その人と「実際に会ってお話してみましょうか」となったとき、おれは自分の愛用の万年筆を持って行って、相手に見てもらおうとするだろう。そして、相手が使っている万年筆を見せてほしいとも願うだろう。
それだけでも十分に楽しいと思う。しかし、もう1役加えてみてはどうか。……と考えたのが『インク交換の集い(仮称)』というアイデアである。
趣味の合う人と直接会って、話をするついでに自分が持っているインクを少しだけおみやげ代わりに渡す。また、相手が持っているインクをちょこっとだけいただく。思いついた時点で「これ、けっこう楽しそうだ」と感じた。
ではどうやってインクを交換しようか。具体的な準備について考えてみる。
まずは容器だ。ネットで調べると、タミヤカラーの空き容器がいいらしい。インク好きの間ではすでに定番、なんて言い方をする人もいる。
たしかにそうだろうな、と思う。多少なりとも揮発性のある塗料の容器なのだから、万年筆のインクを入れるにはぴったりだ。
「いきなり正解が見つかったなあ」と思った。しかし実際にタミヤカラーを入手する算段を始めると、大きな問題が浮かびあがってきた。それは「空き容器とは空の容器のことだ」って点だ。つまり、ビンだけがほしいおれのような人間は、タミヤカラーを入手したあとに中身を廃棄する必要がある、ってことだ。
これには困った。ネットオークションを見れば、タミヤカラーはけっこうな頻度で出品されていて、1本あたりに換算すれば数十円で買えることも多い。値段的にもインク交換用の容器に見合っているのだが、出品される容器にはかならず中身が入っている。
落札してから中身を捨てるのも忍びない。いや、心情的な問題だけではなく、タミヤカラーは下水道に流してもよいものなのか? キッチンやトイレのパイプがいきなり詰まってモリスエを呼ぶことになるんじゃないか? などと考えた末、この魅力的な器を諦めた。
twitterで智恵を求めたりしながらたどりついた結論は"小型のフタ付き試験管"だった。これなら中身が蒸発することもなさそうだし、少量のインクを持ち運ぶにも便利そうだ。なにより外からインクの色が見えるから、飾っておくにもよいではないか。
ということで、ネットオークションに貼り着くことになった。と同時に、インクを入れた試験管をどのように陳列するかも考えはじめた。
お友達と色水を交換し、それをガラス瓶に入れて大事そうに並べる。うふふ、なんてひとりで笑いながら飽きずに眺める。
なんだかこれ、まだ10歳にもならない少女の趣味のようだ。
四捨五入すれば50になるおれとしては、自分がいま夢中になって準備を進めていることの実態に失笑するしかない。しかし楽しいのだからしかたがない。
好奇心は猫を殺すかもしれないが、脳梗塞のおっさんを若返らせることだってあるのだ。
ネットオークションには予想よりも多様な試験管が出品されていた。
しかし、おれが求める条件―密閉できるフタつきで小さめなもの―はあまり数がなかった。ためしに2種類を落札してみた。ひとつはガラス製で10ccほど入るもの、もうひとつはプラスチック製で5ccほどの容量のものだ。
どちらも試験管1本あたりの価格は60円ほどだが、送料やら払込手数料を勘案すると、1本100円くらいの計算になる。保存容器としは少々高いが、趣味のアイテムと考えれば許容範囲内か。
だれかとインクを交換するさいの適切な量についても考えてみた。
おが出した結論は「3〜6mlの範囲、5mlで八方丸くおさまる」だ。
自分の持ってない色のインクを試したいという"テスト目的"であれば1ml未満で十分だ。たとえば、美しい万年筆を作るイタリアのメーカー、アウロラについて考えてみる。アウロラの万年筆のなかにはリザーブタンク(予備タンク)を持つものがある。本体のインクが切れたときにリザーブタンクからインクを補給することで、A4用紙1〜2枚ぶんの字を書くことができるそうだ。このリザーブタンクの容量が0.06ml。
この数字から考えれば、1mlもあれば試し書きにはお釣りがこようというものだ。
しかし、試し書きで紙に映るインクの色を楽しむだけでなく、ビンに入ったインクそのものを並べて目の保養としたいと考えると、もうすこし多くの量のインクがほしいし、あげたい。と考えて出した結論が、3〜6mlである。
1本のインクボトルが50ml入りであることを考えれば、その1割にあたる5mlといったあたりが納まりがよいなのでは、と思っている。
最初に落札した試験管。大きさの比較のためにウォーターマン オペラといっしょに撮影してみた。オペラの全長はおよそ144ミリである。
この試験管であれば、太めの軸を持つモンブランの146でも、ダイレクトにペン先をつっこんでインクの補充ができる。旅行などにスペア用のインクを持ちだすときにも重宝しそうなサイズである。
別の種類の試験管も落札したので、並べて撮影してみた。
右側が先ほどウォーターマンと比べたもので、ガラス製。ディスプレイ向きと言えよう。
手前(左側)の小ぶりな試験管はプラスチック製だ。自分のインクを人にプレゼントするときに使えそうだ。残念ながらこちらの試験管だと、万年筆を直接突っ込んでインクを補充するという芸当は難しい。ただしガラス玉などを入れて水位を上げることで、ペン先だけなら突っ込むことができそうだ。
外形は奥のものが約17ミリ、手前のものが13ミリ。
試験管をディスプレイするために入手したのがこれ。
1枚の金属板に穴を開け、Z型に折り曲げたものである。ネットショップで写真を見て一目惚れしてしまった。
フォルムは完璧である。非の打ちどころがない。ところが残念なことに、穴がほんのすこしばかり小さかった。実寸で16ミリちょい。直径があと1ミリ広ければ、大きいほうの試験管が下まで届いたのに。
そのうち、どこかの町工場に発注してオリジナルZホルダーを作ってもらおうと企んでいる。
もし特注品の試験管ホルダーを作れたとしたら、このZ型のホルダーにはペン立てになってもらうつもりだ。なかなか納まりがよい。
どんな試験管がいいか、試験管立てにはなにがいいか……そんなことばかりを考えて生活していると、あらゆるものが試験管立てに見えてくる。
なかでも「これは使えそうだ」と思ったのが、伊藤園の『おーいお茶 ふっておいしいお抹茶』のフタである。ふつうのペットボトルのキャップではなく、なかに抹茶の粉を保持する構造のため、逆さに立てれば小さな試験管を支えられる。真横から見れば逆T字型、真上から見れば◎型、という知能テストに出題されそうな形。重みがないので万年筆を挿すと倒れちゃうけど。
さらに、使い捨てスポイトと試験管に貼るためのシールも準備した。
自分の持っているインクを人に分けるだけなら、昭和の万年筆の付属品であるガラス製のスポイトで十分だ。
しかし喫茶店などで落ち合ってのインク交換会(仮称)とでもなれば、いちいちスポイトを洗浄するのは面倒だと予想できる。
なので8本100円のスポイトを3袋買ってみた。使い終えたらすぐに洗えばインクは落とせるので、律儀に使い捨てにする必要はない。
さいごに道具一式をしまう箱も100円ショップで物色した。
プラスチック製の救急箱。本物の薬や絆創膏を収納するには少々こころもとない作りだが、試験管やスポイトをしまっておくには十分である。
インク交換の集い(仮称)、これにて準備あい整った。
あとは実施するだけ。
メンバー募集中です。現在、おれを含めて絶賛2名。
あ、それとかっこいい正式名称もあわせて募集中。
第26回 川窪万年筆店からのお知らせをtiwtterで目にしたのが5月31日の午前10時ごろ。千載一遇! と感じたおれは、2時間後に代金の送金手続きを終えていた。
昭和万年筆・フォルカン仕様、10500円也。
だいぶ時代のついた万年筆だから、価値を感じない人には高いだろう。しかしおれにとっては「川窪万年筆」と「フォルカン」の2役がついた逸品である。
今回の販売本数は4本だったが、おれがオーダーフォームに記入した1時間後には売り切れてしまったようだ。悩まずに購入を決めてよかった。
もし買いそこなっていたら、ことあるごとに後悔の念に包まれることになっていただろう。
昭和の万年筆の実物が手元に届くまで、待つ時間が楽しかった。
子供のころから行事が好きではかったから、よく言われる「遠足前日の浮き立つような気持ち」がどんなものなのかをおれは知らない。でも、おそらくこういう気持ちなんだろう。
「川窪さんの万年筆、まだかなまだかな」と、子供のように到着を待っていた。
昭和の万年筆がやってくるまえに、川窪万年筆のサイトで商品情報を読み直してみた。
気になったのがつぎの一文である。
そしてインク止め式万年筆の特徴である余裕のインク貯蔵量で、長時間存分に筆記する事が可能です。
インク止め式って、なんだ?
ネットで検索すると、あっさりと答えが見つかった。
滋賀県にあるスミ利文具店のホームページにコラム パイロット社製インキ止め式万年筆の操作方法という記事があった。
インク止め式は、川窪万年筆のオリジナル製品以外ではパイロットの製品の一部に使われているくらいの、いまでは珍しくなったインク注入法らしい。
カートリッジ式やコンバーター式との最大の違いは、スポイトを使うことだ。ペン先のすこし上の部分がネジ式になっていて、主軸から外せる構造になっている。スポイトを使ってこの部分からインクを注入し、ふたたびペン先をねじ込む。
これがふつうの筆記具であれば「めんどくせえ」と思うところだろうが、万年筆となれば話は別だ。少々の手間なら喜びに転化する。それが万年筆だと思う。。
昭和の万年筆を購入することがなければ、おれは生涯インク止めのことを知らずに過ごしていたかもしれない。こう考えると、喜びがいっそう大きくなる。
フォルカンについてもすこし予習した。
おなじスミ利文具のホームページにパイロット社の変り種ペン先、超ソフト調・毛筆の筆跡とは?と副題のついた記事があって、さまざまなことを知ることができた。スミ利さん(もう「さん」付け)、万年筆が好きなんだなあ。
所在地が滋賀なのでおじゃまするのは難しそうだが、せめてリンクだけでも貼らせていただこう。お世話になりました。
即席ながら予習は済んだ。
万年筆が届いたのは6月3日、早朝の便だった。
もっとコンパクトな荷物だと予想していたのだが、受け取ってみるとクロネコヤマトの紙袋。中身がわかっているから驚くことはなかったけど、受け取るとたいそう軽い。知らなきゃ空だと思っても不思議じゃない。この袋の底に万年筆が横たわっているのだ。ああ、万年筆って軽いんだ。
いそいそと開封すると細長い物体が。プチプチに包まれた厚紙のケース。
ケースには箱と同系色のシールが貼られており、緑の文字で「手づくり HAND MADE」と書かれている。
万年筆とは別に、図解入りの取扱説明書が同封されていて、この紙が保証書にもなっている。
スポイトもしっかり同梱されていた。
おれはいまインク交換の集い(仮称)のために、100円ショップで使い捨てのスポイトを取り寄せてもらっている最中なので、この時点でガラス製スポイトを入手できたのはラッキーだ。
ご対面。
金属部分が黄色っぽく見えるのは我が家の壁が映り込んでいるため。黄色の壁の家って……。実際の万年筆の金属部分はすべて銀色。
へたくそな写真ばかりで申し訳ないので、川窪万年筆店のサイトから拝借してきた写真を。
天冠と尾栓は銀色の円錐形。金色が剥げたわけではなく、壁の色である。
クリップの刻印は、おそらく「SPECIAL」。
首軸をまわすと主軸からはずれる。スポイトを使って矢印の部分からインクを入れる。
天冠から2センチほどの部分、尻ネジをまわすとピストンが現れる。
筆記に使わないときはこの尻ネジを締めておく。
筆記字は締める加減によってインクの流量を調節する。
フォルカンのペン先。両脇のくびれがイカす。
刻印はペン先のほうがORDER、軸側がIRIDIUM。
間にあるのは数字の「4」にも見えるし、ヨットの絵にも見える。
(刻印を見やすくするために写真の明度をかなり上げてある)
クリップの横に、ちゃっかり名を入れてもらった。
文字はNasobema。
黒字に筋彫りなので目立たないが、この渋さがいいじゃないか。
名まで彫ってくれて注文から中2日で到着した。しかも追加料金なし。
すげえぜ川窪万年筆店。
さて、肝心な書き味は……といきたいところだが、まだ説明できるほど書き込んでいないのだ。すまぬ。この万年筆、かなりのじゃじゃ馬で、おれはまだどんな筆圧で書けばよいのかがつかみきれていない。
すくなくともひとつだけ言えるのは、ペン先が紙に当たる感覚は、けっして「毛筆のよう」ではないことくらいだ。タッチはかなり硬い。
しかし筆圧のかけかたしだいで「毛筆のよう」な線を書けるのもまた事実。この万年筆に限って言うなら、「毛筆のよう」なのはペン先が紙に触れる感覚ではなく、力加減で線の強弱や太さをコントロールする力加減のようだ。
現時点では「払いに味が出せる」「毛筆のような点が打てる」ことだけはわかった。楽しい万年筆であることはまちがいない。あとはおれの慣れしだい。
もう千1000文字くらい書けばコツがつかめそうな気がしているので、今回のところは「ふ」だけで見逃してほしい。フォルカンの「ふ」なのか、不思議の「ふ」なのかは不明。