第41回 後編:ブロッターと3本の万年筆のこと。

前編は → こちら




7.ブロッター


 ブロッターなる名称と正確な用途を知ったのは最近だが、おれは小さなころからそれを見ていた。
 実家は商売をしていた。店の奥にあるレジ台の、小切手用のごっつい数字スタンパーの横が、にそれの指定席だった。形が黒板消しと似ていて、子供の目には野暮ったいものと映った。


 40年経って万年筆に興味を抱くようになると、くすんでいた黒板消しもどきの記憶がとたんに輝きだした。
 「時代のついた、実用一点張りのあのブロッターをいまこそ使いたい」。そう思って実家に聞いてみた。すでに20年以上もまえに店をたたんじまっていたから期待は薄かったが、実家の姉に問い合わせてみた。
 「ブロッターって名前らしいんだけど、インクを吸い取る黒板消しに似たあれ、まだあるかな」。すぐさま「ないねー」と返ってきた。まあ、そうだろうね。


 いま買うことのできるブロッターは、木製のものとプラスチック製のものに大別されるようだ。風情を楽しむのであれば、木製に真鍮のグリップがついたもので決まりなのだが、おれが選んだのはプラスチック製のほうだ。
 最大の理由は値段。加えて、実用性の面でもプラスチック製のほうが上なのでは、と思えた。
 で、いま机の上にあるのこれだ。メーカー名はクラウン、商品名は吸取器。じつに素っ気ない。品番はCR-SE145-Rとなっている。定価800円である。











 おれのペン習字の練習法はスキャナーを多用するものだ。自分で書いた字をスキャンし、画像処理ソフトで手本と重ね合わせて比較する(セルフ添削システム。ただし現在はこの記事よりも手順が簡略化されている)。



 インクが乾いていないと、スキャナーのガラスが汚れてしまう。万年筆のインクは水溶性だから拭けば汚れは取れるが、はなから汚さないほうがいいに決まってる。
 ブロッターの導入は大正解だった。
 これまではティッシュペーパーを丸めて紙に押し当てることで余分なインクを吸っていたが、ブロッターを使うようになってからあきらかに効率が上がった。
 おれのような、万年筆の字を頻繁にスキャンする人間にとって、ブロッターは必需品である、と言ってしまおう。そんな人間、日本に100人くらいしかいないと思うけど。


 クラウンのブロッターを選んだいちばん大きな理由は、値段が安いから。国内のメーカーではコレクトが有名で、雑誌にも紹介されることが多いようだが、 ほんのすこしだけ高いのである。
 もうひとつ、コレクトのプラスチック製ブロッターのデザインが「惜しい」のだ。曲線を強調したフォルムは、もうすこしでかっこよくなるのに、「頓知が効きすぎちゃいましたね」って感じを受ける。 同じコレクトでも木製ブロッターのほうは「まさにこれがブロッターの正統派」といった形。おれが買ったクラウン製もほぼ同じ形だが、見た目はやっぱり木製のほうがいいね、といまでも思う。


 ブロッターは本体だけでは使えない。吸取紙が必要だ。
 おれは運のいいことに吸取紙を買う必要がなかった。以前ネットオークションで万年筆(パイロットのミュー)を落札したときに、 おまけで吸取紙がついてきたのだ。
 吸取紙には東京ユニバーサルK.K.と書いてはあるが、「良質吸取紙」の文字を見るかぎり中国製らしい。いまどきの日本の企業ならわざわざ「良質」なんて書かないだろうし。









 ブロッターを使い始める前に疑問だったのが、連続で使っても大丈夫かってこと。吸取紙に移ったインクが、続けて使うことで筆記用の紙にスタンプされてしまうのでは? って不安だ。
 しかしそれは杞憂だったようで、常識的な使いかたをしているぶんには問題はない。また、吸取紙は1枚でけっこう長く使えるものらしく、紙全体にインクの色がついてしまったとしても「まだ吸えるならだいじょうぶ」らしい。おれくらいの使いかたなら、1枚で3〜4ヵ月はもちそうである。


 ところで。
 英語のblotには「(文字など)を(吸取紙で)乾かす」というそのものずばりの意味もあるのだが、もともとは「しみ、汚れ」「汚す、にじむ」といった意味で、あまりよいイメージの単語ではないようだ。
 さらにerがついてblotterとなると「吸取紙、吸取器」のほかに、俗語で「酔いどれ」の意味もある。吸い取るようにアルコールをくらうイメージかな。
 アクセントはブ「ロ」ッターと、前のほうにある。最近はやりの日本語だと無抑揚になっていそうだけど、おれはちゃんと発音しよう。





8.WALITYの透明軸万年筆





 万年筆に興味をもっていろいろと調べるうちに、『趣味の文具箱』には載らないようなメーカーが存在することを知った。伊東屋丸善では売られることのない万年筆が、世界にはたくさん存在するのだ。


 ネットオークションで落札したPICASSOが当りだったことに味をしめて入手したのが、これだ。
 メーカーはWALITYだが、ウォルティーなのかウォリティーなのか、はたまたヴァリティーか、読みかたからしてわからない。品名も不明だ。キャップの刻印をよく見ると「REGD」と彫ってあるので、それが名前かもしれない。







(軸内のインクはウォーターマンのグリーン)




 この写真を見て、万年筆通ならピンとくるものがあるだろう。そう、フランスのメーカー・レシーフのクリスタル万年筆とそっくりなのだ。
 ぱっと見てわかる本家とのちがいは、本家の天冠がクリップと一体の金属なのに対し、こちらは本体と同色の樹脂である点。好みによることだが、おれはWALITYの天冠のほうが好きだ。


 WALITYはインドの会社だが、かつてはレシーフの下請けだったらしい。契約終了後、こっそり保管していた金型を使ってこの万年筆を作っている、と事情通が言っていた。とても信憑性のある話だと思う。インド人、たくましいなあ。


 おれはこの万年筆を1580円で落札した。本家のおよそ5分の1の値段だ。
 オリジナルを知らないので書き味も4分の1かどうかはわからないが、こいつの5倍も書き味のよい万年筆があるなら、5万円払ってもいいと思う。それほど書きやすい万年筆である。
 ペン先は鉄で、柔らかくはないが堅すぎることもない。軸の太さとのバランスがちょうどよく、廉価なこともあって遠慮なく字が書ける。
 「意外といい」どころではなく、おれにとっては「いいよこれ!」な万年筆だ。


 インク吸入はスポイト式。主軸を9回転ほどまわすと透明の胴軸部分だけが外れる。ここにスポイトでインクをぶち込むという、男らしくも単純な機構である。
 胴軸=インクタンクというシンプルさが奏功して、通常の万年筆よりも多くのインクが入る。理屈からすれば、インクそのものの圧力によってフローもよくなるわけだ。実際に文を書いてみると、たしかに悪くない。


 おれにとってこれが初めての透明軸万年筆だ。10年ほどまえがピークだっただろうか、スケルトン(トランスルーセント)製品をもてはやす風潮に嫌気がさしたのと、どうにも安っぽい印象があって、この手のものを敬遠していた。
 ところが実際に使ってみたら便利だった。つねにインクの残量が明らかになっていることの安心感が、想像以上に大きかったのである。


 万年筆としての作りがしっかりしていて、レシーフ流用説の説得力を増している。ところがWALITYのオリジナル部分であるロゴの刻印となると、とたんに仕事が雑になる。REGDの文字を判読するのにずいぶん苦労した。









 

 カラーバリエーションも本家顔負けの充実ぶりで、「全色まとめていくら」といった叩き売り行われることもあるようだ。
 いかにもパチ物っぽいが、実力のある万年筆である。










 



9.KAIGELU K226





 金属軸で細身の「ストンとした」万年筆に弱い。
 まさにそのツボを突かれた思いがして、入札競争に参加してしまったのがこれだ。ま、10円ずつ上げていくという遊びのようなバトルで、落札価格は510円だったけど。
 510円は、撮影はしなかったがコンバーターつきの値段だ。コンバーターにもカンガルーをかたどったロゴマークが入っている。










 メーカー名はカイゲル。2回繰り返してトットの目、と加えたくなるような名前だが、カンガルーのことらしい。たやすく連想されるようにオーストラリアのメーカーなのだが、どこかに中国の匂いもする。この匂いについてはおれが勝手に嗅いでるだけだが。


 とにかく形が気に入っているので、持っているだけでもうれしい。キャップの2ヵ所にカンガルーを模したマークがあり、ふつうならそれによって安っぽくなってしまうところが、この万年筆では気にならない。それどころか、愛嬌があってかわいいとすら感じる。











 ペン先は鉄製だが、銀の地に金色の刻印がなかなかお見事。本体に見合った細身のフォルムもかっこいい。
 書き味はしっかりしていて、細いから頼りないということもない。510円は安すぎるでしょ、と思ったが、定価でも1680円なのだそうだ。
 万年筆の値段、わからんなあ。





10.ペリカン P560





 ペリカンといえば、モンブランと双璧を成す巨頭である。どっちも他企業の傘下になっちゃって、ペリカンの本社はスイスだけど、おれの心のなかの双璧であることに変わりはない。
 「いつかはM800がほしいものよ」と思いつつ、なかなか機会が訪れない。機会と書いて金と読む。


 ペリカンの万年筆の型番は、Mで始まるものがMechanik(=機構)の略で吸入式、Pで始まるものはPatronen(=筒)の略でカートリッジ式だ。ということくらいは勉強しましたよ、おれも。


 正直なところ、おれがペリカンに興味を持っているのは、Mのほうのラインアップだ。しかし、こんなデザインのものを見つけてしまったら、入札せずにおられるだろうか。いや、できん。
 と、つい反語を形成してしまうくらいのひと目ぼれをしてしまったのがこいつだ。ネットオークションで、なかなか熱い入札競争の末に4100円で落札した。










 Pだから機構はカートリッジ(またはコンバーター)式なのだが、サイズの合うものを持っていないので、いまはつけペン方式で使っている。
 本体の軸色はうすいゴールドで、平面が強調されたペン先の形がおもしろい。こう見えても鉄ではなくて14金。字幅はMで、なかなか太い字が書ける。
 首軸は金属ではなく樹脂製なので軽く、実際に手にしてみると少々安っぽい感じを受ける。使ってるうちにすぐ慣れるだろうけどね。ここが樹脂製であることが全体のバランスにも影響しており、リアヘビーってんですか、頭が軽く感じる。


 現行のペリカン製品では1羽のところ、天冠のマークには子ペリカンが2羽いる。
 1羽だろうと2羽だろうと、ペリカンマークのついた万年筆に憧れがあったので、いてくれるだけでうれしいのである。
 本体に比べてクリップがごつい印象を受けるが、スプリング式でかっちりしたホールド感があるので、気に入っている。と言ったところで、胸ポケットに挿すことなんてないんだけどね。










 出品者からの情報によるとP560は1980年代のモデルで、定価は18000円だったそうだ。おれが落札したものは試筆の形跡すらないデッドストック品。いい買い物だったと思っている。


 似たタイプのフォルムなので、カイゲルとペリカンを並べてみた。
 細さはおなじくらいで、ペリカンのほうがすこし長い。
 










 ついでに今回紹介した3本で落書きをしてみた。たてと横の平行線を引くのは忘れました。見てわかるように、ペリカンの字がもっとも太い。
好みの問題だが、3本のなかでいちばん書きやすいのはいまのところWARITYのパチ物万年筆だった。


 やはり貧乏手なのか、おれ。









 字形について、今回はノーコメント。