第11回  娘はつぎの春に中学生になる。これは彼女がまだ2歳だったころの話。

[ペン習字]

 世田谷区のはずれに住んでいた。地図で見ると三方が調布市に囲まれていて、なにかの手違いで23区に混ぜてもらったような町だった。


 おれも妻も昼の勤めに出ていたので、家を空けることが多かった。娘は保育所に預かってもらっていた。
 通信販売を頻繁に利用する夫婦だった。小包が週にいくつも届いた。荷物のほとんどはマンションのエントランスにある宅配ボックスに収まっていた。しかし宅配ボックスがいっぱいだったり、ロッカーに入らない大きな荷物の場合は、実物の代わりに不在通知票が届けられていた。


 不在通知に書かれた字は、たいてい乱雑だ。なんとか判読できる程度の字が多い。そうなるのも当然だろう。時間に追われる配達業務のなかで、おそらく立った姿勢のまま、段ボールを下敷き代わりに書く文字。読めるだけでも立派なものだ。


 しかし、日通のペリカン便の不在通知だけは様子が違っていた。字が丁寧で美しいのだ。
 おれが机に向かって、万全の体勢で書いたとしても足元にも及ばないような美しい文字だ。日時や識別番号、荷物の内容。すべての文字が端正だ。不在通知に必要な情報だけでなく「よろしくお願いします」や「ご不在でしたので持ち帰らせていただきます」といった言葉が添えられている。言葉のそばには配達者を示す「斎藤」の認印が押してある。すこしの曲がりもなく押されている判が、斉藤さんの人柄を偲ばせた。


 字がきれいで、ちょっとした言葉が添えてある。ハンコが曲がっていない。ただそれだけのことだ。それだけなのに、斎藤さんの不在通知には一枚の紙以上のなにかがあった。じっと見ていると、不在通知じたいが姿勢正しくお辞儀をしているような気がしてくる。


 斎藤さんの字を見ていると、さまざまな想像がふくらんでくる。斎藤さんが仕事に対して抱いている誇りが伝わってくる。荷物だけでなく、贈り主の気持ちも届けようとしているにちがいない。一枚の不在通知から、字の主である斎藤さんの実直さ、誠実さが立ちのぼってくるようだ。「一字たりともゆるがせにしない」とは、まさにこのことだと思った。


 不在通知を何度か受け取るうちに、妻も斎藤さんの仕事ぶりに気づいたようだった。
 「斎藤さんの字を見ると背筋が伸びるね」などと話しながら、その人物像を予想しあったこともある。
 再配達の荷物を受け取れるのは土日に限られていた。斎藤さんの受け持ちは平日だけのようで、再配達に来てくれるのはつねに別の人だった。ひとことお礼を言いたいものだと思いながらも、斎藤さんから荷物を直接受け取る機会のないまま慌ただしく季節が移っていった。


 翌年の1月。松が明けたころの土曜日か日曜日だったと思う。
 来客を告げるチャイムが鳴って、インターホンから「突然お邪魔して申し訳ありません。斎藤と申します」と男性の声が聞こえた。玄関の戸を開けると、50がらみの男性が立っていた。小柄だが贅肉のない体。よく日焼けした柔和な顔。目尻の深い皺に実直さが刻まれているようで、その人はまさにおれが想像していた斎藤さんだった。
 「おやすみのところ、突然おじゃましてしまって申し訳ありません。つまらないものですが、これを」と、"お年賀"の熨斗つきの箱を斎藤さんが差し出した。


 じつは前年の暮れに、おれは斎藤さんに年賀状を出していた。住所は不在通知に印刷してある営業所。名字しかわからないので「斎藤様」とだけ書いた。干支のイラストのついた年賀はがきに「いつも荷物を届けてくださってありがとうございます よいお年をお迎えください」と添え書きした。
 お礼の気持ちを伝えたかったのが半分、「配送会社に年賀状を出す奴はあんまりいないだろう。斎藤さんがにやりとしてくれればしめたもんだ」といった洒落心が半分。軽い気持ちで出した年賀状だった。


 年賀状の効果は予想外に大きかったようで、にやりとするどころではなく、斎藤さんはお年賀を携えて挨拶に来てくれたのだった。たかが一通の葉書でお年賀とは。妻はおれの隣で、なにが起きているのか理解できずに斎藤さんを見つめている。
 斎藤さんは配送用の作業服ではなく、ネクタイにブレザー姿だった。おれたち夫婦が平日は家にいないことがわかっているので、わざわざ休日にお年賀を届けてくれたのだ。いや、それと知らずに無駄足を踏ませてしまったことがあるかもしれない。
 いっしょにお茶でも、と誘うのを堅く辞して、斎藤さんは玄関口から奥には入ろうとしなかった。そのかわり、なにがあったのかと顔を出した娘の頭を「かわいいなあ、かわいいなあ」と撫でてくれた。斎藤さんの手は節くれだった"男の手"だったが、娘の髪に触れるかどうか、腫れものに触るような撫でかたを見て「根っからのいい人なんだ」と思った。


 ペリカン便の不在通知に書かれた字が斎藤さんのものでなくなったのは、それからすぐのことだった。あのときの訪問には、お別れの意味が込められていたのかもしれない。
 斎藤さんと会えたのはあの一度だけだし、これから再会することもないだろう。しかし、斎藤さんが教えてくれたことは忘れない。


 字は心を伝えてくれる。伝えたい心があれば。