第5回 2本の万年筆を修理に出すにあたって、ネットで万年筆についてあれこれ調べた。便利なもので、情報がどんどん入ってくる。

 万年筆そのものを最初に製品化したのはウォーターマンだとか、モンブランはいまではリシュモンの傘下にあって品質の低下が指摘されているとか。ほんの数日まえまで万年筆に関してはまったくの門外漢だったおれが、短時間でにわか万年筆通になっていた。半可通、いや半々可通くらいか。


 さらに万年筆についての本も買って読んだ。この3冊だ。

『万年筆を極める』 赤堀正俊著
かんき出版 1200円

 万年筆の歴史や魅力、手入れの方法などがすっきりとまとめられている。入門書としては最適だと感じた。主要ブランドの万年筆がカラーで紹介されていて、カタログとしても楽しめる。著者は南青山・書斎館のオーナーだそうだ。いつかお邪魔したい。


『PEN BRAND 世界の万年筆ブランド』 趣味の文具編集部編
エイ(木へんに世、環境依存文字)出版社 1600円

 アルファベット順に45の万年筆ブランドを紹介している。きれいで大きな写真がふんだんに使われていて、眺めているだけでも楽しい。モンブランのマイシュターシュトュック146だけでも16点の写真とともに4世代のモデルが紹介されているなど、情報量も豊富だ。毎日ナイトキャップ代わりに眺めている本。


『楽しい万年筆画入門』 古山浩一著
エイ出版社 1300円

 タイトルはシンプルだが、正確に内容を表している。万年筆画の入門書であり、著者と生徒の作品集でもあり、なによりも万年筆の楽しさを伝えてくれる。本の隅々まで神経が行き届いていて、著者や編集者の熱意が伝わってくるし、くそまじめに遊んでいることがわかる。これほどの質の本を1300円で作れることじたいにも驚いた。値段を伏せて「いくらだと思う?」と聞かれたら、2200円以上だと答えるだろう。人にプレゼントしたくなる本。







 この3冊を読みながら、万年筆の世界に急激にハマりつつあることを自覚していた。
 さらにネットで万年筆をテーマとする個人サイトをのぞかせてもらって、「趣味としての万年筆」の世界があることを知る。
 趣味として万年筆。「悪くないなあ、いや、いいなあ。おれもそっちの世界に行ってみたいなあ」と思う反作用のように「スノッブとは違うけどブルジョア趣味っつーか小金持ちの道楽っつーか、いけ好かない部分があるのは否めねえ」とも感じる。でもそれが、魅力的なものと出会ったときに反射的に取るおれの防御姿勢であることもわかっている。本心では趣味としての万年筆の世界に入門したいのだ。そして、こう思ったときはすでに半分以上は入門してしまっているのである。


 ここで、自分を納得させる大義名分を考える。残った体重のかかった足を踏み出すための言い訳である。
 若いころから、魅力を感じたら即飛びこむことのできない性質だ。飛ぶまえに見る。見ているうちにわかった気になって、飛ぶのをやめちまうことも少なくない。とにかく理由をでっちあげてからでないと、門を叩くことができない。


 いちばん簡単そうな理由は「仕事で文を書くときに使う」だ。でもそれは無理だとわかっている。万年筆で原稿を書くことは、パソコンやポメラを使わないってことだ。ただでさえ思考回路がとっちらかっているうえに、脳梗塞で曖昧さ当社比180%増のおれの脳みそでは、手書きで原稿を書くことなど不可能なのだ。無理を押してそれをやったとしたら、原稿用紙が修正の赤字で埋まり、入稿する編集者に難題のパズルを押しつけることになる。なにかうまい口実はないものか。手段のために目的を探せ。

 何日か考えたあげく、結論が出た。シンプルな結論が出た。
 「ペン習字を学ぼう」。

 万年筆は道具である。使ってなんぼ、書いてなんぼの道具である。
 装飾品やインテリア、コレクションとしてガラスケースに入れて眺めたり自慢することは、おれの好みに合わない。
 だから書くために使う。道具として使う。しかし万年筆が道具として働いてくれた結果=文字 が、いまのおれの手のようなお粗末さでは申し訳が立たない。ウォーターマンに謝れ、万年筆をくれた人に詫びろ。
 だからペン習字を学ぶ。字の形を考えて、手指を慎重に運ぶことはリハビリにもなるだろう。そうすれば万年筆は立派な実用品となる。実用品であれば、必要に応じて買い足すことも許される。経済的な理由で買えなかったとしても、「必要でないから買うこともないのだ」と貧乏な自分を傷つけずに納得させられる。


 5回目の前ふりにして、ようやっとペン習字にたどりついた。
 しかし、今回のは理由の半分に過ぎない。ペン習字を学ぼうと思った理由はもうひとつある。もうすこし前ふりにお付き合い願いたい。