第4回 さまざまなペンを使ってさまざまな色でノーブルノートに試し書きをした。締りのない字で、1色につき1行だけの試し書き。それでも楽しかった。

「書き心地」。そんなものがあること自体をすっかり忘れていた。

 ロットリングのボディーに刻んでもらった自分の名前―本名ではないが―を見て、いいもんだなと思った。たったの8文字の刻印があるだけで、大量生産の工業品が手作りの一品物に化けた気になる。このペンはおれのもの。そんな感覚を思い出した。


 忘れていた? 思い出した? そうだ、おれは「書き心地」という感覚を知っていたし、自分の名が入ったペンだって初めてじゃない。……モンブラン! あのモンブランの万年筆はどこだ。それとウォーターマン! 文具やら書類やらを乱雑に放り込んであるひきだしのなかをひっ掻きわけて、2本の万年筆を探し出した。掘り出したと言ったほうが実状に近い。ワレ万年筆ヲ発掘セリ。


 発掘した2つの宝。1本はモンブランの万年筆だ。大学に入学した年の誕生日プレゼントとしてもらったものだ。おれは1983年入学なので、もう28年も昔のことになる。何かの折に「将来は文を書く仕事に就きたい」などとテキトーな夢を語ったのを覚えてくれていた贈り主がプレゼントしてくれたのだと思う。
 当時は万年筆など見たことも触れたこともなかったから、「なんだか高そうなものをもらってしまった」と感じたはずだ。インクを入れて文字を書いてみて、滑らかに文字が書けることにびっくりした記憶もある。まるで毛筆のようだ、と思ったのではなかったか。あまりの滑らかさに興奮して、原稿用紙にデタラメな文(タイガー・ジェット・シンについて語るアントニオ猪木の架空インタビューをでっちがげた)を書いて、贈り主に速達で送ったことも思い出した。

 しかし当時のおれは、新しくて便利な物=良い物 と考えていたので、ボールペンやサインペンと比べて重厚で手間のかかる万年筆は、手紙の宛名を書くときくらいしか使わなくなっていった。できることなら28年まえの若造の枕元に立って「もったいねーぞ」と囁いてやりたい。


 今回発掘したもう一本の万年筆はウォーターマンのもので、やはり同じ人にもらったものだった。誕生日だったか就職祝いだったか、どんな機会でのプレゼントなのかすら思い出せないのが申し訳なくて、いまになって心で詫びている。すくなくとも年号が昭和だったことだけはたしかなので、こちらも20年以上が経っていることになる。


 モンブランウォーターマン。2本の万年筆はまさに宝のもち腐れで、ひきだしのなかで眠り続けていた。この2本を文具サルガッソーから引き揚げたときには、懐かしさの数倍の申し訳なさがおれの心を占めた。
 すまない、ごめん、ありがとうとつぶきながら、おそるおそる紙に線を引いてみると、ちょっとかすれはしたものの、2本とも字を書くことができた。これには驚いた。ほっぽらかすどころか、存在を忘れ去っていた年月が長すぎたから、ペン先が紙をこする音がするだけで文字など書けるわけないと想像していたからだ。それでも試し書きをしようとしたのは、悲しみや空しさを感じることで、自分を罰しようと思ったから。より詳しく書けば、罰するふりをすることで、申し訳なさを目減りさせようとしたのだと思う。
 しかし書けたのだ。文字が。このペンを贈ってくれた人の名前を書いてみた。勝手な解釈だが、「あなたが書きたいものを書く時間はまだあるよ」と言ってくれている気がした。われながら自分に都合のよい解釈をするのに飽きれるが、そう感じたんだからしょうがない。


 よし、この2本の万年筆で字を書こう。その準備として、まずはお詫びの意味も兼ねて2本をメンテナンスに出そう。
 万年筆の修理は、池袋東武デパート7階の伊東屋に出すことにした。ネットで調べると同じ池袋にモンブランブティックがあることがわかったのだが、こちらは西武デパートのテナントだ。ここは「池袋駅の西と東だから両方に行こう」と考えるのがふつうだろうが、おれの体調はまだまだ本調子には遠い。すこしの距離であっても、「エレベーターを待って、地下道の人混みのなかを歩いて、またエレベーターに乗って……」と考えただけでも疲れてしまう。そこで2本まとめて伊東屋にお願いすることにした。


 ネットで調べたら、モンブランのほうはマイシュターシュトゥック146という品だとわかった。まったく知識のなかったおれが「高そうな万年筆」としか思っていなかったものが、万年筆の代名詞とも呼ばれる逸品だとわかった。
 その価格にも驚いた。28年まえ、大学1年生だったおれにとっての「高そう」のイメージは「2万円くらいするかもしれない」だった。しかしいまのマイシュターシュトゥック146の価格は……。ってことは当時の価格だって……と考えると、申し訳なさとありがたさがいっそう増してきた。


 伊東屋の万年筆カウンターの様子は、おれの想像とは違っていた。勝手な思い込みに過ぎないのだが、伊東屋の奥のほうに小柄で年配で銀縁の丸メガネと腕カバーをした万年筆職人がいて、そのおじさんが「これはねえ……ずいぶん冷たくしちゃったねえ」なんて言いながら秘密の道具で直してくれる様子を想像していたのだ。イメージのモデルはゼペットじいさんだ。
 しかし実際は―これが当然なんだが―カウンターに受付の女性がいて、万年筆のコンディションを確認するためにちょいと試し書きをしてから簡素なカルテのようなものを書いて、お預かり。モンブランウォーターマンはそれぞれのメーカー(ウォーターマンは日本代理店のニューウェルラバーメイドジャパン)に送られると知った。


 修理の申し込みをしながら「ウォーターマンの商品名がわからないので教えてほしい」とお願いしたら、カタログを調べてくれた。しかし結果は「10年前のカタログにも載ってませんね」。なので、修理先に調べてもらうことになった。


 ウォーターマンは肉眼で見てもペン先がずれているのがわかった。一見問題がなさそうなモンブランも、何本も線を引くと横線がかすれることがわかった。
 2本とも自分にとって大切な万年筆だ。いや、正確には「大切であることに気づかずに20年以上もほっぽらかしていたのに、まだ大切にするチャンスを残してくれている」万年筆だ。ここは完璧にメンテナンス・修理をしたいところだが、万年筆の価格を知ってしまったいまとなっては、「いくらかかってもよいので完璧に」とは言えない。
 そこで「それぞれ修理代が1万円を超えるようなら連絡をください。1万円以下で直せるのであればそのまま修理をお願いします」と頼んだ。


 けっきょく、受付窓口が伊東屋なだけで、2本の万年筆は別々の場所に行って別々の場所からから戻ってくるわけだ。また、モンブランの修理は結果としてはモンブランに頼むことになる。これなら最初からモンブランブティックに行けばよかったか、と考えながら久々の遠出が終わった。