第17回 ひらがなも満足に書けないくせに、おれは篆刻印を持っている。2005年10月の日記から、入手の経緯を再録する。


 篆刻(てんこく)の存在を教えてくれたのは、西原理恵子の『恨ミシュラン』だった。
 当時の週刊朝日の編集長が篆刻に凝っていて、サイバラは興味がないのにハンコを自慢されて迷惑だといった描写が作中にあった。それを読んだおれには、篆刻という渋い工芸に対して憧れのような感情が芽生えた。


 板橋文化小屋という団体が主催する体験教室が、この3連休に開催されている。
 篆刻の教室もある。参加費はなんと1000円だ。
 おれの暮らす部屋から徒歩2分の場所で開催されることもあって、そそくさ出かけていった。
(註 板橋文化小屋は組織変更して"NPO法人職人村"になったようだ。おれが指導していただいた篆刻の先生は参加されていないもよう。2010年4月30日記)


 体験教室はとくに時間が決まっているわけではなかった。
 割り振られたスペースで先生が待っていて、希望者が来たら教える。ざっくばらんなシステムだ。おれが教わったときは空いていた。生徒はおれともうひとり、かなりの美人と言わざるをえないお嬢さんがいただけだった。落ち着いて、しかもいい気分での篆刻入門、とあいなった。


 (篆刻についての詳しい内容はこちら


 彫る文字として、おれは自分の名前の一字を選んだ。
 「誠」だ。
 数えてみれば14画もある。方向音痴と手先の不器用さにかけては人後に落ちぬ自信がある。それなのに印面のサイズは16ミリ四方しかない。荷が重すぎるか、違う字にしようかと思った。しかし先生は「やってみましょう」とおっしゃる。おれは図々しくも「はい、お願いします」と答えた。


 篆刻に本格的に取り組むのであれば、書道から始めるのが筋らしい。
 しかし今回は短時間の体験教室なので、あらかじめ整形済み、印面研磨済みの青田石が用意されていた。その印面に先生が筆で字を書いてくださり、おれは専用の彫刻刀のようなもので、墨跡が残らないように削るだけである。縁日の夜店にあったな、こんなの。


 と、簡単そうに書いてしまったが、印面に筆で文字を書くだけでも相当な修練が必要だと思う。
 その文字は、篆書体の辞書のに載っている書体をもとに、先生が彫りやすいようにアレンジしてくださったものだ。


 木製の固定器で青田石をがっちりと押さえる。
 刀(先生は「とう」呼んでいた)を文字の墨部分に押し当て、グリッ、グリッっと削っていく。
 篆刻用の石とはいえ、やはり固い。いちどに掘れるのはせいぜい1ミリ程度だ。慣れないものだから余分な力が入ってしまい、笑い飯風に言えば「左手第三先端にそっくり」にマメができてしまった。
 生徒は不出来だが、先生は優しくて誉め上手である。おかげさまで、小1時間で墨の跡をほぼ削ることができた。







 先生にチェックしていただき、試しに押印してみる。
 印影を見ると、削り残しや形の悪いところがはっきりわかる。そこで再び掘り直す。最後の仕上げはもちろん先生まかせである。








 完成したのがこれ。立派なもんだ。








 その印影が、これ。







 初めてにしてはよくできたほうだと思う。って、先生の教え方と直し方がうまかっただけなんだが。
 制作に要した時間は、都合2時間ほど。これで1000円ぽっきり。完成品はお持ち帰りって……安いにもほどがある。


 先生、ありがとうございました。