第2回 ここ2〜3年のあいだ、おれにとって筆記用具は単なる道具に過ぎなかった。

 かすれずに書ければいい、それだけの存在。そもそも手で文字を書く機会あまりなかった。原稿を書くにはパソコンのほうが便利だし、趣味と実益を兼ねていた塾講師の仕事でも、パイロットのドクターグリップ4+1があれば十分に用が足りた。
 もう1本、まだ文具にスタイルを求めていたころ――10年まえに買ったラミーの4色ボールペンも手元にあるので「一生分の筆記用具はこの2本で十分だ」くらいに考えていた。






 脳梗塞による視野の欠損を補うために新調したB5版のノーブルノート。このノートは1冊で1200円もするが、品質は値段に見合っていると思う。紙をなぞるだけでも指先に快感がある。
 メーカーのサイトには「この書き心地ペンじゃなくて紙なんだ」というコピーがあるが、実物に触れてみると大げさでないことがわかる。紙の感覚があまりに心地よいので、字を書くのがためらわれたほどだ。
 とは言え、これはノートである。おれには文具を陳列する趣味などない。書いてなんぼ、書かれてなんぼ。と考えながらも、なかなか最初の一文字が書けない。
 よし、贅沢だけどこのノートのためにペンを新調しよう。


 この時点のおれにとって、ペン=多機能ボールペンだった。元来、行列と予定と荷物が嫌いな性分なので、がちゃがちゃと何本もペンを持つのはいやだった。
 グーグルで「多機能ボールペン」と検索し、いくつかの候補に絞り込んだ。ステッドラーアバンギャルドとどちらにしようか迷ったすえに、ロットリングの4in1に決めた。決め手は機能よりもデザイン。実用品のほとんどを100円ショップで買う習慣が身に着いていたおれにとっては、デザインで物を決めることじたいが久しぶりだったし、価格の面でもずいぶん贅沢な選択だった。


 あちこちのサイトでペンや文具製品を見てまわるのは、予想外に楽しかった。
 最近は実用一辺倒になっていた自分が、10年ほどまえまでは文具好きだったことを思い出させてくれた。ひとりの時間をつぶすために本屋か文房具屋に入り浸っていた小学生のころの記憶も蘇ってきた。


 ユニ坊主やジャンボユニ、首ちょんぱがほしくて鉛筆を買ったことだとか、サイドノック式のシャープペンシル・ペッカーを買ったら想像していたよりもずんぐりしたフォルムでがっかりしたことだとか、コーリン鉛筆のゴールド芯は高級感があったなあとか、BOXYの色遣いはかっこよくて新鮮だったとか、一時期男子はだれもがNFLの紙製ボックスを持っていたなあとか。ちょっと時代が下がると、折り曲げるようにしてノックする宇宙的なデザインのシャープペンシルもあったなあ。シャチハタだったっけ。
 いまのように100円ショップがなかった昭和40年代、シャープペンシルは高級品だった。奮発して新しいシャープペンシルを買うと、それだけで勉強ができるような気になったものだった。


 そんな記憶がつぎからつぎへと、当時の文房具屋の匂いといっしょに蘇ってきた。
 ああ、そうだ。小学校に入学したときに母が用意してくれた鉛筆は、三菱のハイユニだった。鉛筆なのに文房具屋のショーケースに入っていた高級品。しかも金文字でおれの名前が入れてあったような。担任の先生が質実剛健な人で、「贅沢すぎる」と叱られたことも思い出した。そのころのおれは鉛筆を齧る癖があって、せっかくの高級鉛筆を全部ぼろぼろにしちゃったんだよなあ。家が金持ちだったわけでもないから、おれに対する期待とおれの成長への喜びの表れだったんだな。なんてことが、いまにしてようやっとわかったり。


 おれは長いあいだ自分の持ち物に名前を書くのが嫌いで、制服や学校名の入ったカバンや校章などの、自分の所属を示す物も好きではなかった。自分では「己の素性を関わりのない人に晒して歩くのが嫌いだから」程度に考えていたが、名札嫌いの原因は名入りのハイユニで小学校の先生に咎められたことにあるのかもしれない。だとすればつまらないことだ。その先生には1年から3年まで担任してもらった。3年前に亡くなってしまったが、とても個性的で公平な、すばらしい先生だった。よし、ここは自分の意思で新しいボールペンに名入れをしてもらおう。