第24回 なにごとも型から入るタイプで、ペン習字の練習だって例に漏れない。ヘタすりゃ練習前の"儀式"のほうが字を書いている時間よりも長いくらいだ。



 おれの"儀式"の内容は、こうだ。


 まずシャワーを浴びる。本来なら水ごりをしたいところだが、心臓が止まると困るので45度のシャワーで代用している。短髪にしたので頭も洗う。すぐに乾くから便利である。


 風呂場から出たらざっと体を拭いて、読経である。
 おれ自身は無宗教だが、僧侶を姉に持つ手前、部屋には簡易仏壇がある。
 プラスチック製の洋服ケースを立てたなかに香炉や線香立てなどを置いただけのシンプルなものだ。
 お鈴(りん)の代わりとして、10年ほどまえにフェリシモで買った「世界の民族楽器シリーズ」のなかの鈴っぽいものを使っている。ちーん。


 5分ほど読経をしたあとで、コーヒーを淹れる。これまたお茶の代用である。
 冷凍庫に保存してあるコーヒー豆を挽いてプレッサーで淹れることもあれば、1杯ぶんずつ個別包装されたものを使うこともある。また、ドリッパーを使うこともある。お湯を沸かして、細口のコーヒーポットで注ぐこと、そして立ちのぼってくるコーヒーの香りを楽しむことが、この儀式の肝だ。


 水ごり、読経、点茶。本式のものはひとつとしてない。すべて代用である。
 儀式の締めくくりとして、しぼった布巾を使ってパソコンデスクと袖机を拭き上げる。こうしてようやく練習に入る。


 一週間ほどまえから、儀式がもうひとつのプロセスが加わった。
 こちらはペンを持ってからの儀式である。練習用ノートの枡目を使って、水平線と垂直線を引く。
 期待する効果は「平行でまっすぐな線を書けるようになること」と「ペン先のコントロール力の強化」である。


 本来なら、5センチ四方の枠線だけを準備して、そのなかの空白部分に線を引いたほうがよさそうだ。いや、基礎力を高めるためには枠すらないほうがいいのかもしれない。
 しかし専用の用紙やノートを準備するのが億劫で、ふだん字を書く練習に使っている「れんしゅうちょう」で間に合わせている。


 できるだけ等間隔で。
 できるだけ細い線で。
 できるだけまっすぐに。
 できるだけ安定した力で。
 できるだけ多くの本数を。
 できるだけ始点と終点をはっきりと。
 ……と意識して書いているつもりだが、引けた線はよろよろで、こんなありさまだ。







 この日に書いた水平線をよく見ると、右上の一角が欠けている。
 右側まで線を引ききることなく、途中でノートからペン先を離してしまっている。これ、理由があってのことじゃないのだ。結果として「こうなってしまった」のである。


 理由はないが原因はあって、おれの目の疾患によるものだ。
 正確には目ではなく脳なのだが、視覚の右上4分の1が欠けちまっていて、死角となっている。脳の補填機能のおかげで、ふだんの生活ではこの死角を意識することはあまりないが、こんなときに「おまえの視覚の4分の1は欠けているのだ」と思い知らされる。
 水平線を引いているときには「ここがはじっこ」と思ってペン先を紙から離しているのだが、実際にはまだ右側が残っていたという、それだけの話。








 はんぱな位置で途切れた水平線に気づいても、とくにショックを受けることはない。「ああまたか」といった程度だ。
 あえて言えば「いま気づかせてくれてありがとさん」である。なにかの事故を起こしてだれかに迷惑をかけてしまったあとで気づいても後の祭りだもんな。
 こうして机に向かっているとき――重大な事故が起こりにくい場面――に自分の視覚異常について再認識することは、むしろありがたいことなのである。


 このウォーミングアップによる効果は、いまのところ実感できていない。
 引けた線の数は日々増えてはいるものの、いざ字を書いてみるとあいかわらずよろよろした線のままだ。
 でもあきらめずに続けていけば、気づかないうちにすこしずつ線の質がよくなるのかもしれない。
 どの点においてもペン習字は「すこしずつ、すこしずつ」のようだしな。


 今日は6月1日。パイロットから『わかくさ通信』が送られてきた。
 これはペン習字通信講座の会報紙で、会員への連絡はすべて『わかくさ通信』を通じて行われる。
 月々の課題もここで発表されるし、課題を提出するときに貼付する"添削券"も紙面から切り取って使うようになっている。


 全8ページのうち、およそ1ページ半が割かれているのが、『級位認定者一覧』なるコーナーだ。前月10日の締切ぶんの提出課題に対して与えられた級位(段位)がここで発表される。
 おれ4月に入会し、課題の初提出は5月10日締切ぶんだった。つまり、初の級位認定である。
 いままでは勝手に"11級"を名乗っていたが、ようやっと正式な級位が与えられるわけだ。


 級位はいちばん下が10級。9、8、7……と上がっていって、1級のつぎは初段になるようだ。段位は7段まであるようだが、おれにとっては雲のうえの話だ。








 「おそらく10級だろう」と思ってずらり並んだ名前を見ていくと、9級Aの欄に名前があった。講師の機嫌がよくておまけしてくれたのかもしれない。


 というわけでこのブログ、10級編をすっとばして今回からは9級編となった。